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河野淳吾/競輪 
「走る場所をピッチからバンクへ」 

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芦部聡

芦部聡Satoshi Ashibe

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photograph bySatoshi Ashibe

posted2011/02/07 06:00

河野淳吾/競輪 「走る場所をピッチからバンクへ」<Number Web> photograph by Satoshi Ashibe

サッカー選手の頃と比べ筋肉の付き方が大きく変わった

毎朝5時からペダルを漕ぐから「腹が減って仕方がない」。

「湯河原の自宅から練習場の平塚競輪まで、40kmの距離を自転車で行くときもある。たくさん練習して、たくさん食べて……息の長い選手になるには、20代のうちに身体をつくらないといけないですから。毎日10時間ぐらいトレーニングしてるから、腹が減って仕方がない。揚げ物は控えようとか多少は気にするけど、まずはしっかり食べて、強い身体をつくることがいちばんです。サッカー時代に比べて体重は10kg増えて、太ももの周りも10cm以上大きくなった。持っていた洋服はぜんぶ着られなくなりましたね(笑)」

 朝5時前に起きて、出掛ける前におにぎりで腹ごしらえ。7時すぎから9時まで競輪場で練習して、近くの牛丼屋やファミレスで朝食。さらに昼すぎまでバンクや路上を走る。昼食を挟んで午後も練習はつづき、週3回はウエイトトレーニングで筋力強化に取り組む。

「ウチの師匠は厳しくて、ケガをしても練習を休ませてくれないんです。たとえば、予選のゴール直後に転倒したとする。もし入賞していて、決勝レースに出られることになったらどうする? 多少のケガだったら無理してでも走るだろう? だったら練習も休むなと。スジは通っているから納得はできるんですが……。じつは3戦目のレースで転倒して、指の付け根が裂けてしまったんですけど、この程度のケガでは休ませてくれない(笑)」

 平然と痛い話を披露する。サッカーもコンタクトの激しいスポーツだが、60kmを超える速度でアスファルトに叩きつけられることもある競輪はつねに危険と背中合わせである。

「おぼろげながら競輪の世界で食っていける自信が見えてきた」

「サッカーをやっているときは、90分間スタミナを切らさずに動けるよう余力を残しておくことを考えていた。対して競輪はラスト40秒で全力を出し切ることに主眼を置く。ペース配分の方法がぜんぜん違うので、そこがいちばん難しいし、今でも戸惑っています。今はレース展開のことは考えず、スタートから全力で踏めと師匠にいわれてる(笑)」

 最初から最後まで逃げ切れば勝てる。シンプルだが、絶対的な必勝法ではある。

「勝っても負けても、自分の実力。デビュー戦を走って、おぼろげながら競輪の世界で食っていける自信が見えてきた気がします」

 バンクはゼニの埋まった銀行ですからね。

 ……って、おあとがよろしくないですな。

河野淳吾(こうのじゅんご)

1982年7月9日、神奈川県生まれ。地元の湯河原サッカースポーツ少年団でサッカーを始める。清水商業高校在学中に全日本ユース選手権で優勝し、2001年にJリーグのサンフレッチェ広島に入団。'08年、徳島ヴォルティスでサッカー人生の幕を閉じる。'09年、日本競輪学校第99期一般入学試験に合格。'10年に競輪選手登録され、Jリーグ出身の競輪選手第1号に。'11年1月5日、小田原競輪場でデビューした。

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河野淳吾

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