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河野淳吾/競輪 
「走る場所をピッチからバンクへ」 

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芦部聡

芦部聡Satoshi Ashibe

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photograph bySatoshi Ashibe

posted2011/02/07 06:00

河野淳吾/競輪 「走る場所をピッチからバンクへ」<Number Web> photograph by Satoshi Ashibe

サッカー選手の頃と比べ筋肉の付き方が大きく変わった

――バンクに賭ける元Jリーガーの膨張する太ももと胃袋――

 開催日には一攫千金をねらう男たちで殺気立つ平塚競輪だが、レースのない日は閑散としている。身をすくませる冷たい風が吹き抜ける駐車場で待っていると、早朝練習を終えた選手が三々五々バンクの外に出てきた。1月5日に初出走した、デビューほやほやの河野淳吾選手の姿をそのなかに見つける。

 河野選手は元Jリーガーだ。'01年にサンフレッチェ広島に入団し、'08年に徳島ヴォルティスで現役を引退。その後、競輪への転身を決意し、高木隆弘選手のもとに弟子入り。住み込み修行を経て、'09年に競輪学校に合格した。競輪は他競技からの転向組が多いが、サッカー出身者は河野選手がはじめてである。

「サッカー時代からの知人に競艇選手がいて、その方を通じて今の師匠を紹介してもらった。車券を買っていたから興味はあったんだけど、まさか自分が競輪選手になるとはねえ……」

練習のキツさは「競輪を100とすると、サッカーは10かせいぜい20」。

 予想だにしなかった転身のきっかけは、'07年に相手選手と接触し、右足を開放骨折したことだった。すねの骨が皮膚の外に飛び出し、復帰までには1年以上の時間を要した。

<朝> ハムエッグ、牛肉の小鉢、ごはん、味噌汁

「なんとかピッチには戻れたけど、以前と同じようなプレーはできない。早々に現役生活に見切りをつけて、第2の人生を探そうと決意しました。人に教えるのが苦手なので、指導者には興味がない。会社員という選択肢にもそそられない。自分の身体を使って稼ぎたい、スポーツ選手としての限界を究めたいと漠然と考えていたときに、競輪を勧められたんです。

 師匠のところで練習をはじめた当初は、練習がきつくて死ぬかと思いましたねえ。とにかく強度がハンパじゃない。競輪を100とすると、サッカーは10かせいぜい20。シーズン中は調整主体でコンディショニングやフォーメーションの確認ぐらいしかやらないし……はっきりいってラクしてました」

 プロとしてデビューした現在も、練習は365日休みなし。雨が降ろうと、雪が積もろうと、ペダルを踏まない日は1日もない。「休むヒマがあれば練習しろ」という師匠の教えを忠実に守っている。

【次ページ】 毎朝5時からペダルを漕ぐから「腹が減って仕方がない」。

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