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最後の直線の攻防だけで「150秒」…渡辺薫彦「とてつもなく長かった」を再現、アニメウマ娘『ROAD TO THE TOP』は1999年ダービーをどう描いたか? 

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屋城敦

屋城敦Atsushi Yashiro

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photograph byCygames, Inc.

posted2023/05/21 17:00

最後の直線の攻防だけで「150秒」…渡辺薫彦「とてつもなく長かった」を再現、アニメウマ娘『ROAD TO THE TOP』は1999年ダービーをどう描いたか?<Number Web> photograph by Cygames, Inc.

ダービーの直線の攻防、ナリタトップロードとテイエムオペラオーとの競り合いも丹念に描かれ、後ろにはアドマイヤベガが迫り…

 北海道で夏を過ごしていたアドマイヤベガも猛暑のせいで調整が遅れ、予定していた京都大賞典ではなくその翌週の京都新聞杯(当時は10月開催)にせざるを得なかった。京都大賞典は古馬とのきびしい戦いとなるが、菊花賞までには中3週空けられる。一方、京都新聞杯は相手の格は落ちるが、そのぶんローテーションが厳しくなる。結果として勝利を収めたアドマイヤベガであったが、じつはここで歯車が狂っていたのかもしれない。

オペラオー&サングラス&オペラグラス

 京都大賞典3着のテイエムオペラオーは、作中では、サングラスを着け、オペラグラスをのぞきながら他の2人を心配してみせるなど終始余裕たっぷりの様子。史実でも、使い詰めで日本ダービーにピークを合わせられなかった反省から、菊花賞に向けては余裕を持ったローテーションが組まれており、それが功を奏してさらなる成長を見せていた。

 合宿後半になると、ナリタトップロードは、トレーナーの作戦もあってようやく回復の兆しを見せる。しかしアドマイヤベガは、妹が幻影として登場し、左脚の痛みに苛まれていた。実際、母のベガと同じく左前脚が内向していたアドマイヤベガは、翌年に左前脚繋靭帯炎を発症して引退している。脚の内向は脚だけでなく、内臓機能など全身にも大きな負担がかかるため、アニメ同様に人知れず苦しんでいたのだろう。

お姉ちゃんの脚は菊花賞までで……

 幻影の妹が「お姉ちゃんの脚は菊花賞までで……」と暗示する通り、史実のアドマイヤベガは菊花賞が現役最後のレースとなっている。

 両者が激突した菊花賞の前哨戦、京都新聞杯は実際のレース通りに日本ダービーを再現するかのような展開、結果となる。しかし、レース後の姿はまるで勝者と敗者が入れ替わったかのようだった。二度も同じ負け方をしたものの、「よし、まだまだ!」と頬を両手で叩き、次を見据える2着・ナリタトップロード。それに対して、無表情で余裕など欠片も見られない1着のアドマイヤベガ。ナリタトップロードから声をかけられるも「あなたの走りなんてどうでもいい」と返し、地下バ道へと降りていく。不穏な空気をまといながら、いよいよ、菊花賞を迎える。

<続く>

#3に続く
「結末はわかっていたのに、大号泣」アニメウマ娘『ROAD TO THE TOP』は1999年菊花賞をどう描いた?「アグネスデジタルが観客席にいた理由は…」

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