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定年を延長して社長に直談判…ホンダF1の窮地を救った最強パワーユニット生みの親、浅木泰昭がついに退職

posted2023/04/06 17:00

 
定年を延長して社長に直談判…ホンダF1の窮地を救った最強パワーユニット生みの親、浅木泰昭がついに退職<Number Web> photograph by Masahiro Owari

開幕戦バーレンGPを訪れ、レッドブルのチーフエンジニア、ポール・モナハンと挨拶を交わす浅木氏(左)

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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Masahiro Owari

 第3戦オーストラリアGPはレース中に3度(レース後に観客が乱入して出されたのを含めると合計4回)赤旗が出されるという荒れた展開となった。

 Hondaウエルカムプラザ青山で催されたパブリックビューイングで、詰めかけたF1ファンとともに、このレースを特別な思いで見守っていたのが浅木泰昭だ。

 浅木は2017年からホンダのF1プロジェクトに加わり、2018年からホンダF1のパワーユニット(PU)開発の指揮を執ってきた。その浅木もすでに還暦を過ぎ、3月31日をもってHRC四輪開発部部長を退任。4月末には定年退職する予定となっている。

 浅木が見つめる中、波乱のレースを制したのはホンダRBPT(レッドブル・パワートレインズ)のPUを搭載するレッドブルのマックス・フェルスタッペンだった。これでホンダRBPTのPUが開幕から3連勝。浅木はF1の最強PUの開発リーダーの座を後輩に託して、40年以上にもわたるエンジニア生活に幕を下ろすこととなる。

定年を先送りしたF1への情熱

 じつは浅木は5年前の2018年に定年退職するはずだった。しかし、その前年の2017年にホンダのF1活動はどん底の状態で、その窮地を救うべく量産車のプロジェクトを成功に導いていた浅木に白羽の矢が立った。定年を前にF1をやるつもりはなかった浅木だったが、光が見えない中でもがき苦しんでいた多くの若手エンジニアの姿に翻意した。

「このままホンダがF1で結果を出せなければ、若手がダメになる」

 浅木は2018年からPU開発責任者としてホンダの開発陣を統率。ホンダは2019年にレッドブルと組んで復帰後初優勝し、2020年にはコンストラクターズランキング2位と力をつけたが、2021年限りでF1活動から撤退すると発表した。

 浅木の下でPUを開発していたエンジニアの折原伸太郎は、撤退発表前の2020年秋のある日の出来事をよく覚えている。

 彼らはこのとき、PUの設計を大きく変更した「新骨格」を2022年に投入する計画を立てていた。だが、ホンダは2021年限りでF1参戦を終了することを発表。このままでは新骨格が日の目を見ないと悟った浅木は八郷隆弘社長(当時)に直談判し、2021年に新骨格を投入する許可を得た。

 当時、PU開発のプロジェクトリーダーだった折原は、浅木に呼び出され、こう問われた。

「新骨格を2021年に投入したい。行けるか?」

 折原が「行けると思います」と答えると、浅木は「じゃ、やれ」と迷わず命じた。

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