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「1分50秒で13億円稼いだ」パンサラッサが話題…なぜサウジとドバイに日本馬が殺到? 高額賞金だけではない“海外遠征ブーム”の理由 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph bySipa USA/JIJI PRESS

posted2023/03/04 17:01

「1分50秒で13億円稼いだ」パンサラッサが話題…なぜサウジとドバイに日本馬が殺到? 高額賞金だけではない“海外遠征ブーム”の理由<Number Web> photograph by Sipa USA/JIJI PRESS

吉田豊を背にサウジカップを逃げ切ったパンサラッサ。1レースで1000万ドル(13億円超)の賞金を稼ぎ、日本馬の歴代獲得賞金ランキング3位に浮上した

 先に、フェブラリーステークスを勝つことと、サウジカップで5着以内に入ることのどちらが難しいかと記したのと同じように、近い時期に行われる大阪杯(芝2000m)と、ドバイシーマクラシックやドバイターフのどちらを勝つのが難しいかを考えても、迷うところだろう。大阪杯の1着賞金は2億円なので、ドバイのこれら2レースの2着賞金より上ではあるが、例えば、ノーザンファーム生産馬が同じレースで食い合わないよう、大阪杯とドバイを使い分けるケースなども当然出てくる。

「この馬はドバイで強くなった」遠征で成長する馬も

 海外に遠征する日本馬にJRAが褒賞金を出すようになり、「開放元年」と言われたのは1995年のことだった。

 当時、なぜわざわざ賞金の高い日本を出て海外のレースに出走したかというと、名誉とステイタスのためだった。

 長距離輸送と検疫、異なる環境での調整という「リスク」を背負い、そうした困難を克服するからこそ讃えられた。

 海外遠征を恐れる空気は、史上初の無敗の三冠馬シンボリルドルフが1986年にアメリカに遠征して6着に敗れ、故障を発生したことも影響していた。「あのルドルフでもダメだった」と、日本のホースマンは大きなショックを受けた。また、1990年代までは、日本馬が「ホーム」でジャパンカップを勝つのも大変だった。

 それが今や、ジャパンカップで日本馬が上位を占めるのが当たり前になり、ドバイやサウジ、香港など、欧米との間を取った場所で、欧米の強豪を圧倒するのも普通のことになった。ヨーロッパのGIや、アメリカのGIを勝つことも、もはや珍しくない。

 そのくらい、日本馬が強くなった。

 さらに、馬を輸送するための機材や、輸送中のケアが進歩し、遠征先での水や飼料、装蹄なども工夫し、帯同馬をつける利点を生かすようになった。それに加え、遠征を繰り返すことで、人間たちが「初めてのこと」に戸惑うことも少なくなった。そうして2000年代ごろから、「海外遠征=リスク」というマイナス面ばかりを強調する声が、次第に聞かれなくなってきた。

 それどころか、例えば、初の海外遠征となった2007年のドバイワールドカップで4着、翌08年は12着となったヴァーミリアンは、遠征前のダートGI勝ちは川崎記念だけだったが、遠征後、ダートGIをさらに8勝した。管理する石坂正調教師(当時)は、「この馬はドバイで強くなった」と話していた。

【次ページ】 「歴代賞金王」にリーチをかけたパンサラッサ

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