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若き福永祐一の葛藤「自分にはセンスがない」…偉大な父・洋一と比べられた“天才二世”の素顔「読書家で『水滸伝』にハマっていたことも」 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byTomohiko Hayashi

posted2023/02/25 11:02

若き福永祐一の葛藤「自分にはセンスがない」…偉大な父・洋一と比べられた“天才二世”の素顔「読書家で『水滸伝』にハマっていたことも」<Number Web> photograph by Tomohiko Hayashi

1999年の桜花賞をプリモディーネで制し、22歳でGIジョッキーとなった福永祐一。しかしその翌週に落馬で負傷するなど、決して平坦なキャリアではなかった

「爆弾が落ちたような感じ」という表現は、けっして大げさではなかった。スーパールーキーが放った強烈な衝撃波は競馬サークルの枠を飛び越え、多くの人々の関心をターフへと向けさせた。

JRA初の女性騎手も…騎手課程「花の12期生」とは

 何しろ、中学を卒業する前から「まもなく競馬学校に入学する、天才・福永洋一の息子」として注目されていた存在だ。骨折で競馬学校への入学が1年遅れて、騎手課程「花の12期生」のひとりとしてデビューしたわけだが、12期生の福永以外の9人もそれぞれに個性的だった。JRA初の女性騎手となった細江純子、牧原由貴子(旧姓)、田村真来の3人、JRA初の双子騎手となった柴田大知と柴田未崎、のちにテイエムオペラオーとのコンビでブレイクする和田竜二、同期で最初にGIを制する古川吉洋、現調教師の高橋亮、落馬事故で引退したあとパラリンピックを目指し、ライターとしても活躍している常石勝義、といった面々である。

 そのなかで突出したスターが福永だった。

 父・福永洋一氏は、騎手デビュー3年目の1970年に初めてリーディングを獲得すると、78年まで9年連続その座につき、「気まぐれジョージ」と呼ばれた12番人気のエリモジョージで76年の天皇賞・春を逃げ切るなど、数々の伝説をつくった。しかし、79年3月の毎日杯での落馬事故で騎手生命を絶たれてしまう。そのとき福永は2歳だった。

 福永ら競馬学校騎手課程12期生が「花の~」と呼ばれているのは、洋一氏が、当時の騎手養成機関だった馬事公苑長期騎手課程の15期生で、同期に「岡部幸雄、柴田政人、伊藤正徳」といった名騎手がいたため「花の15期生」と呼ばれていたことに由来する、というか、それがルーツになっている。

重圧に呑み込まれたキングヘイローのダービー

 福永は、デビューした96年、53勝を挙げて、JRA賞最多勝利新人騎手を獲得した。

 デビュー2年目、97年11月15日、東京スポーツ杯3歳ステークス(表記は旧馬齢)でキングヘイローに騎乗し、JRA重賞初勝利を挙げる。そして、98年6月7日、同馬とのコンビで初めて日本ダービーに臨んだ。無傷の3連勝で東京スポーツ杯を制し、前走の皐月賞で2着と好走した力を評価され、2番人気の支持を得ていた。

【次ページ】 結果とは裏腹に「自分にはセンスがない」

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福永洋一
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