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武豊「ディープインパクトはダートでも強かったと思う」ディープにダイワスカーレット、2頭の名馬が“走らなかった”幻のフェブラリーS計画 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byTomohiko Hayashi

posted2023/02/18 11:04

武豊「ディープインパクトはダートでも強かったと思う」ディープにダイワスカーレット、2頭の名馬が“走らなかった”幻のフェブラリーS計画<Number Web> photograph by Tomohiko Hayashi

日本ダービーを制した時のディープインパクトと武豊

ダイワスカーレットのダート挑戦はケガで“幻”に

 通算12戦8勝、2着4回と連対率100パーセントで、GIは桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯、有馬記念の4勝という女傑ダイワスカーレットが目指していたフェブラリーステークスは、ディープインパクトが出たかもしれなかった翌年、2008年と、2009年のレースだった。

 ダイワスカーレットは、主戦騎手(当時)の安藤勝己を背に、2007年、同い年の名牝ウオッカを桜花賞と秋華賞で下し、つづくエリザベス女王杯も完勝。しかし、次走の有馬記念は、マツリダゴッホに出し抜けを食わされるような形で2着に惜敗した。

 陣営は、翌08年の最初の大目標を3月下旬のドバイワールドカップに定めた。

 その前哨戦としてフェブラリーステークスに出走する予定で調整されていたのだが、レース前週の坂路での調教中、跳ね上がったウッドチップで右目を負傷。創傷性角膜炎と診断され、同レースを回避することになった。

 ドバイ遠征も取りやめ、年明け初戦となった大阪杯(当時はGII)で、メイショウサムソン、ヴィクトリー、アサクサキングスといったGI馬をはじめ、インティライミ、ドリームパスポートなどの強豪牡馬を相手に、ゴール前で迫られたら強烈な二の脚で抜かせない、圧巻の競馬で優勝。牝馬がこんなふうに牡馬勢をねじ伏せるシーンを見たのは、少なくとも筆者は初めてだった。

 それ以来の実戦となった天皇賞・秋は、ウオッカとの壮絶な競り合いとなって2着。歴史的名勝負と言われる一戦となった。

 つづく有馬記念を圧勝し、翌09年、あらためてフェブラリーステークスからドバイワールドカップに向かうプランを立てたが、フェブラリーステークスの1週前追い切りのあと、左前脚の球節下部に痛みが出て出走を回避。それが浅屈腱炎であることが判明し、現役を退くことになった。

「現実味のないタラレバ」ではなかった理由

 芝を主戦場にしていた強豪が、フェブラリーステークスからドバイワールドカップに向かった例としては、エリザベス女王杯などを勝ったトゥザヴィクトリーがいる。1999年の桜花賞3着、オークス2着と牝馬クラシックで活躍したトゥザヴィクトリーは、2年後、初ダートとなった2001年のフェブラリーで3着となり、翌月のドバイワールドカップへ駒を進めた。果敢にハナを切り、余裕ある手応えで直線へ。ラスト200m付近までは勝つのではないかと思わせる走りで2着となった。

 帰国初戦となったエリザベス女王杯を制し、翌02年の年明け2戦も同じローテーションを進んだが、フェブラリーステークス4着、ドバイワールドカップは11着だった。

 トゥザヴィクトリーはノーザンファームの生産馬で、オーナーは金子真人氏、池江調教師が管理して、主戦が武という、ディープインパクトと同じチームだった。

 ディープが「幻のフェブラリーステークス優勝馬」というのはタラレバではあるが、まったく現実味のないタラレバではなかったことがおわかりいただけるだろう。

【次ページ】 もしディープとスカーレットがフェブラリーSに出ていたら…

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