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「『キャプテンやめろ』と何度も…本当に大八木さんは厳しかった」“退任発表”大八木監督が23年前、駒澤大を箱根駅伝初優勝させるまで 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph bySankei Shimbun

posted2023/01/11 17:03

「『キャプテンやめろ』と何度も…本当に大八木さんは厳しかった」“退任発表”大八木監督が23年前、駒澤大を箱根駅伝初優勝させるまで<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2000年の箱根駅伝で、初優勝した駒大。ゴールして仲間から胴上げされる10区アンカーの高橋正仁

 そして前年、順大に逆転を喫した9区に、大八木はエースの西田を配置していた。なにがなんでもここで優勝を決めるという思いを込めて。西田は当時の感覚を鮮明に記憶していた。

「ものすごい声援でした。特に横浜駅前などは、走りながらお腹の奥の方がググッと持ち上がってくるような感じで、本当にパワーをもらいましたね」

 西田は区間新記録を樹立して襷をつなぎ、アンカーの高橋正仁は駒大史上初めて先頭で大手町のゴールに帰ってきた。

 新しい歴史が作られたのだ。

 コーチに就任してから、わずか5シーズン。大八木は優勝した瞬間に感じたことを、ひと呼吸置いてから話し出した。

「なんだろうねえ……。なんとも言えない感情でしたよ。本当に勝ったんだな、というね。喜びよりもホッとしたかなあ」

 ゴール地点での大八木の様子を、西田は記憶している。

「大八木さんが放送ゲストの藤田さんと中継で話をしていたんです。大八木さんは『藤田、やったよ! お前らが出来なかったことを、ようやくやったよ』って」

「本当に当時の大八木さんは厳しかった」

 このあと駒大は4連覇を含む5回の総合優勝を果たし、黄金時代を築いた。

 主将として初優勝を経験した前田は、今は國學院大の監督として大学初の総合優勝を狙う立場になった。

「駒大でも97年の復路優勝が大きかったです。優勝すると学生は指導者を改めて評価しますし、信じる力が強くなる。あそこから大八木さんと選手の関係性が強固なものとなっていったと思います。ただ、本当に当時の大八木さんは厳しかった。僕は何度か『キャプテンやめろ』と言われたこともありましたし、練習メニューもしんどくて、キツい練習の前夜には『このまま時間が止まってくれ』と思ったほどでした。それでも4年生で経験したことが、今の指導者人生につながっていると思います」

 駒大のDNAを持つ前田は、今年は出雲駅伝で初優勝し、いま國學院大で新たな文化を創造しようとしている。

 初優勝から20年。東京・世田谷にある駒大のグラウンド。早朝6時前、学生たちが集合しているところに大八木が自転車で駆けつける。

「悪い、悪い。遅くなっちゃった」

 紫のウェアに身を包んだ若者が走り出す。視線の先で選手たちを見ながら、大八木が来し方を振り返る。

「情熱に勝る才能はなし。いいときもあれば、悪いときもあります。でも、陸上に対する情熱が冷めなければ、いつまでだって学生を見ていたい。100回大会までやろうかな」

 大八木の情熱と共に、駒大の歴史は作られてきた。2020年もまた、若者たちが紫の襷をつなぐ。

<前編から続く>

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「反抗的な学生もいたし、タバコは吸ってるし…」28年前、箱根駅伝優勝ゼロだった駒澤大を変えた大八木弘明・新コーチの“強烈な指導法”

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