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戦力外→引退後は「1年くらい家に閉じこもって…」元近鉄ドラ1が語る“接骨院の経営者”の今「引きこもることも人生には必要です」 

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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photograph byMakoto Okano

posted2022/12/27 11:03

戦力外→引退後は「1年くらい家に閉じこもって…」元近鉄ドラ1が語る“接骨院の経営者”の今「引きこもることも人生には必要です」<Number Web> photograph by Makoto Okano

元近鉄の高柳出己さん。戦力外通告を受けた元プロ野球選手が第二の人生に向かう時、最も大切なことは何か?

 体の痛みは他人と共有できない。首脳陣との間に吹いた隙間風を埋められないまま、高柳は引退を決意した。

「ちょうど(近鉄時代の恩師である)権藤(博)さんがベイスターズのコーチになったので、『1回練習に来い』って誘われたけど『もう肩が上がらないんです』とお断りしました。ほんとにボロボロでした」

「プロ野球生活は楽し過ぎました」

 引き際は後味の悪さを残したが、高柳はプロ野球生活を「本当に楽し過ぎました」と回想する。その感情は、仰木彬という稀代の名将に出会えたからこそ生まれたものだった。

「野球自体を楽しくできたし、近鉄時代は同年代の投手陣と毎晩のように一緒に飲んでましたからね。不摂生がたたって、ケガにつながったのかもしれないけど、今の選手のようにアスリートとして節制して野球するだけだったら嫌かな(笑)。仰木さんが監督じゃなかったら、飲み歩けはしなかったでしょうね」

引退後は「家に閉じこもって…」

 プロ野球界から去った高柳は、半年ほど家業の建設会社を手伝った。しかし、自分には向いていないと悟った。電気工事の営業も経験したが、これも合わなかった。

「小さい頃から野球しかしていないので、何をやったらいいのかわからなかった。1年くらい家に閉じこもって、どんな仕事があるのか調べるため本ばかり読んでいました。通信制の大学も受講しました」

 人生には助走が必要である。野球選手はアマチュア時代の猛練習が基礎となってプロで活躍できる。しかし、戦力外通告を受けて引退すると、その事実を忘れたかのように、大した準備もしないまま、飲食店を始めるなどすぐに第二の人生を歩み始める。

「生きていかなければならないですからね。奥さんにも『すぐに働いて』とお願いされるんだと思います。ただ、本人にとってはクビになって落ち込んでいるところに、さらに追い打ちをかけられる状態になる。野球以外したことないのに、焦って何かを始めてもうまくいかないですよ。ウチの家内は、僕が読書ばかりしていても何も言わなかった。子供もいたのにね。本当に助けられました」

【次ページ】 経営者&野球指導の「今」

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