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アントニオ猪木「死に場所は自分で見つけなきゃ」「ボロボロな肉体に…」現役晩年の苦しみ、死の4日前の「また旅に出たいね」

posted2022/12/29 11:08

 
アントニオ猪木「死に場所は自分で見つけなきゃ」「ボロボロな肉体に…」現役晩年の苦しみ、死の4日前の「また旅に出たいね」<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

燃える闘魂アントニオ猪木。Numberにも刺激的な言葉の数々を遺してくれた

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NumberWeb編集部

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雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」や写真を紹介します。今回は特別編としてイビチャ・オシム、アントニオ猪木にまつわる言葉です。(全2回)

<名言1>
ライオンに追われて食われる寸前のシカが、一瞬のタイミングを捉えて逃げていくような、生きるための戦いが格闘技の魅力でしょう。
(アントニオ猪木/Number681号 2007年6月21日発売)

◇解説◇
 燃える闘魂アントニオ猪木。その戦いの生涯は見る者にとって、あまりに強烈だった。付き人として仕えた力道山の、現代では考えられない苛烈なシゴキに耐えてプロレスラーとしてデビューを飾ると、日本プロレス時代にはジャイアント馬場との「BI砲」結成でスターダムへと駆け上がった。

 そこから日本プロレス追放からの新日本プロレス旗揚げ、ストロング小林との日本人対決を仕掛けたかと思えば、「ストロングスタイル」を打ち出して数々の異種格闘技戦をしかけた。1976年モハメド・アリとの大勝負ではあまりに有名な“猪木アリ状態”に持ち込んだものの、総合格闘技の文化がまったくなかったゆえ、世紀の凡戦として大バッシングを受け、膨大な借金を背負った。それでも猪木は反骨心を燃やし続け、パキスタンの英雄ペールワンの腕を圧倒的敵地でへし折るなど、凄まじい戦いを続けてきた。

 特にペールワン戦で猪木陣営は当初、海外の一興行として臨みに来たはずだったが、試合直前にいわゆる“セメントマッチ”であることを突き付けられたという。まさに格闘者としての生死を分けかねない一戦となった中で、猪木はその魔性を発揮。相手の噛みつき攻撃にも全く臆さず、チキンウィングアームロックを極め、ドクターストップで勝ち切ってしまった。

 猪木が「生きるための戦いが格闘技の魅力」と定義づけたのは、プロレス復興のために、新団体IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)を立ち上げた頃のことだ。そういった修羅場の数々を潜り抜けてきたからこそ、この言葉には言いようのない重みがある。

スーパースターに関して、底の浅さを感じる

<名言2>
俺はボロボロになった肉体に、練習する度にご苦労様と声を掛ける。
(アントニオ猪木/Number291号 1992年5月6日発売)

◇解説◇
 猪木は1980年代、新日本プロレスで今も受け継がれる「IWGP」チャンピオンベルトの立ち上げ、ハルク・ホーガンやアンドレ・ザ・ジャイアント、タイガー・ジェット・シンら名物外国人レスラーとのバトル、そしてマサ斎藤との「巌流島の戦い」や藤波辰爾らとの世代間闘争と走り続けてきた。

 そんな猪木にも「引退」の文字がちらつき始める。

【次ページ】 死に場所は自分で見つけなきゃ行けないのかも

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