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「トミヤスは必ず大物になるぞ」「ホンダはサムライ」闘将ミハイロビッチ53歳で死去…“何度殴り合ったかな”反骨伝説の源とは

posted2022/12/19 17:12

 
「トミヤスは必ず大物になるぞ」「ホンダはサムライ」闘将ミハイロビッチ53歳で死去…“何度殴り合ったかな”反骨伝説の源とは<Number Web> photograph by LaPresse/AFLO

ボローニャ時代、冨安健洋をハグするミハイロビッチ。鮮やかなFKアーティストであり、熱血度満点の闘将だった

text by

弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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LaPresse/AFLO

 大事な“戦友”が逝ってしまった。

 カルチョの国が哭いている。

 12月16日、元ボローニャ監督シニシャ・ミハイロビッチが入院先のローマ市内の病院で亡くなった。3年前の夏から白血病と闘い続けてきたセルビア人指揮官は、享年53歳で力尽きた。

 92年のASローマ入団以来、セリエA全盛期を駆け抜けた現役時代には、武闘派のDFながらFKの名手として知られた。とりわけ98年12月13日のラツィオ対サンプドリア戦(5-2)で達成した“FKによるハットトリック”は伝説のプレーとして今後も永く語り継がれるだろう。

 指導者転向後もフィオレンティーナやトリノ、ミラン等、行く先々で強烈な印象を残した。

「偉大な戦士よ、安らかに眠れ」

 反骨の闘将ミハイロビッチの人となりに深く関わった人間は数多く、訃報が流れるや否やイタリア中のクラブや元チームメイト、好敵手や指導を受けた現役選手たちが次々に哀悼の意を示した。

「言葉が見つからない。偉大な戦士よ、安らかに眠れ」(ラツィオ時代の同僚FWクリスティアン・ビエリ)

「俺だけじゃなくチーム全員にとって見習うべき模範そのものだった。貴方のことは決して忘れない」(同DFアレッサンドロ・ネスタ)

「グラウンドの中でも外でも貴方とともに過ごした人生の時間は素晴らしいものだった。サッカーだけでなく、一人の男として貴方を心から尊敬する。悲しくて胸に穴が空いた気分です。ご遺族へ心からお悔やみ申し上げます」(元ミランFWフィリッポ・インザーギ)

「僕のことを信じてくれたこと、貴方がくれた言葉すべてに生涯感謝し続けます」(パリSG守護神ジャンルイジ・ドンナルンマ)

 涙雨の中、ミハイロビッチが息を引き取った病院にはイタリア代表監督ロベルト・マンチーニが駆けつけた。28年来の刎頸の友を「本当の兄弟だと思っていた」。名将も悲しみを堪えきれない。

 ミハイロビッチは、彼ら一人ひとりと同じ時代を生きた“戦友”だった。

指導者として「3人の日本人選手」と向き合った

 06年に現役引退したミハイロビッチはすぐに指導者へ転向し、以降の監督キャリアの中で3人の日本人選手を指導した。彼らへの取材を重ねる中で、闘将の生き様にしばしば考えさせられた。

 初めて近くで接したのは13年前のちょうど今頃、まだ駆け出しコーチといえたミハイロビッチが、シチリア島のカターニャの新監督として途中就任した時だった。

【次ページ】 本田との歯車は噛み合っていたようには見えなかったが

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