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「横浜以外なら社会人」松坂大輔と極秘交渉、西武・東尾修が娘・理子の部屋で手に入れていた“決め球”「このボール、持ってみな」 

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日比野恭三

日比野恭三Kyozo Hibino

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photograph byJIJI PRESS

posted2022/10/20 06:02

「横浜以外なら社会人」松坂大輔と極秘交渉、西武・東尾修が娘・理子の部屋で手に入れていた“決め球”「このボール、持ってみな」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

松坂大輔はもともと横浜ベイスターズを意中の球団としていたが、東尾の極秘交渉で西武入りが決定。“決め球”となったのは…

娘・理子の部屋にあった200勝の記念球を…

 西武にとっては当たりでも、松坂にとっては外れ。その後の入団交渉は難航が予想された。

 球団はまず、都内の個室焼き肉店での会談を極秘にセットした。東尾はその日、ふとのぞいた娘・理子の部屋に200勝の記念球が置いてあるのを見つけると、それをつかんで家を出た。

「最初はリラックスした雰囲気の中で話すのがいいだろうと。ぼくは監督としてというより、ピッチャーの先輩として話をしました。一つの大きな夢として、200勝するぐらいのピッチャーに育てたいという気持ちがありましたから、話が一段落した時に200勝のボールを出したんです。『持ってみな』って。その重みを感じてくれたらいいと思ってね」

突き返されたらちょっと厳しいかなと思ったけど(笑)

 東尾は松坂にそのボールを持ち帰るように促した。「ありがとうございます」。礼を言う松坂を見て、東尾は密かに安堵した。

「突き返されたらちょっと厳しいかなと思ったけど(笑)。入団してくれる可能性は高いんじゃないかという感触を得ました」

 どこに入団するかはさておき、プロの舞台に進みたいという松坂の意志の固さは感じられていた。それは、いまから50年前の1968年のドラフトで指名を受けた東尾自身の心境と重なる。まったく予期していなかった西鉄からの1位指名に戸惑いつつ、「プロで力を試したい」との思いが入団を決意させた。

 落胆の裏で燻り続ける火種を、200勝の重みでいっきに燃え盛らせる。それは策略というより直感的な行動だったが、結果は吉と出た。

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