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「植田さん、日本のバレーは30年遅れています」“涙の謝罪”から10年、サラリーマンを経験した元代表監督・植田辰哉が“塾”を開講したワケ

posted2022/07/08 17:00

 
「植田さん、日本のバレーは30年遅れています」“涙の謝罪”から10年、サラリーマンを経験した元代表監督・植田辰哉が“塾”を開講したワケ<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

2005年に男子代表監督に就任し、北京大会では16年ぶりの五輪出場に導いた植田辰哉。現在は母校の大商大で教授、そしてバレーボール部の総監督を務める

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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Toshiya Kondo

東京五輪で29年ぶりの8強入りを果たした男子バレーボール代表。現在開催中のネーションズリーグでも好調を維持しており、2024年パリ五輪でのメダル獲得に向けて着実に強化を進めている。今稿では、現監督フィリップ・ブランにバトンを渡した3名の歴代監督に焦点を当て、ここまでの軌跡を回想する。#1は16年ぶりの五輪出場となった北京大会を率いた植田辰哉氏のインタビュー。バレーボールの未来を担う中学生たちの前で流した涙の理由とは? 全3回の1回目(#2/南部監督編#3/中垣内監督編へ)

 年明け間もない、2022年の春高バレー。自身が解説する試合を終えても、植田辰哉はスタンドから男女を問わず、次世代を担う選手たちの姿を見ていた。

 かつて8年にわたり男子バレー日本代表を率いた植田の言葉の端々から浮かび上がるのは、危機感だった。

「男子は高校生にも日本代表で取り組んでいるバレーが浸透し始めて、ブロックの意識やバックアタックを絡めた攻撃など、まだまだとはいえ、光は見え始めています。でも女子はどうかと言うと、オーバーセットはホールディング(キャッチ)を取られてもおかしくないほど持つし、ブロックも1対1で後ろとの連携もない。ここで勝つためだけでなく、もっと先を見据えた指導をすべきです。何より、男女とも身体の線が細すぎる。ちゃんと、トレーニングをしないと」

中学生の前で涙「本当に、申し訳ない」

 忘れえぬ記憶がある。

 2012年、ロンドン五輪出場をかけた最終予選で敗れた後、代表チームのスタッフと共に訪れた中学選抜の合宿だ。監督在任中は国際大会のシーズンが終わると、必ず合宿に足を運び、日本代表で行うトレーニングや練習方法などを直接伝え、指導をする機会を設けてきた。

 未来の日本代表を背負う子供たちの前で植田は深々と頭を下げ、涙をこぼした。

「日本代表の監督として、みんなの夢を、オリンピック出場という形でつなぐことができなかった。本当に、申し訳ない」

 言葉を紡ごうとしても、溢れるのは涙ばかり。顔を上げると、周りにいる中学の指導者たちもみんな泣いていた。

「代表監督の仕事はチームの強化。これは間違いありません。でも同じぐらい、中学生、高校生、これからの世代に夢を与える道をつくることでもあります。オリンピックに出られなかったということは、その時共に戦った選手たちだけでなく、これからを担う選手たちの夢もつぶしてしまったということ。結局、振り返ると、思い出すのは苦しいことばかりなんですよ」

 北京五輪から14年、ロンドン五輪から10年。植田は今、母校の大商大で教授、バレーボール部の総監督を務める。立場は変わっても、変わらず考えるのは、選手のこれからに必要なことは何か。春高に出る高校生を称賛しながらも未来を見据え危機感を抱く。その背景にはブレない信念がある。

【次ページ】 16年ぶりの五輪、“大の字”姿が話題に

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