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アントニオ猪木はなぜモハメド・アリ戦で“リアルファイト”にこだわったのか? 繰り返したローキック、極限の緊張感「生きるか死ぬかだからね」

posted2022/06/26 11:03

 
アントニオ猪木はなぜモハメド・アリ戦で“リアルファイト”にこだわったのか? 繰り返したローキック、極限の緊張感「生きるか死ぬかだからね」<Number Web> photograph by Getty Images

1976年6月26日、アントニオ猪木vsモハメド・アリの格闘技世界一決定戦

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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 6月19日、東京ドームで開催された“キックボクシング史上最大のイベント”『THE MATCH 2022』。メインイベントで那須川天心と武尊というスーパースター同士の対戦がついに実現したインパクトは凄まじく、東京ドームが超満員札止めになっただけでなく、独占ライブ配信された『ABEMA PPV ONLINE LIVE』の視聴チケットは過去最高の50万件を突破。大会翌日に急きょ実施された天心vs武尊のノーカット無料放送もABEMAの1時間番組として過去最高の視聴者数を記録するなど、格闘技の持つポテンシャルの高さと底力を見せつけるかたちとなった。

 9月にはRIZINのトップMMAファイター朝倉未来とボクシング元世界5階級制覇王者フロイド・メイウェザーの一戦も決定(ルール他、詳細は後日発表)。格闘技界はメガファイトが続くが、マット界の歴史を振り返ると、世間を巻き込んだ史上最大の一戦と言えば、やはり1976年6月26日に日本武道館で行われたアントニオ猪木vsモハメド・アリの格闘技世界一決定戦が思い起こされる。

アリ戦を実現させた“猪木の執念”

 当時の現役ボクシング世界ヘビー級チャンピオンにして、世界で最も影響力のある人物のひとりであるアリが、日本のプロレスラーと闘うという前代未聞のこの一戦。全米でクローズドサーキット方式(劇場などでの有料ライブ映像方式)で生放送されることから、アメリカのプライムタイムに合わせて土曜日の午後1時から放送開始。当時はまだ週休二日制ではなかったにもかかわらず、テレビの視聴率は平均46%。瞬間最高では54.6%にも及んだ。これはテレビ朝日の歴代高視聴率で2位となる数字だ。

 この猪木vsアリ戦が実現したきっかけは、ビッグマウスで知られるアリの「俺にチャレンジしてくる、勇気ある東洋人はいないか?」という一言だった。このコメントをマスコミを通じて知った猪木が挑戦状を送ったことから、世紀の大一番は動き出した。しかし、もちろん実現まで問題は山積しており、当初は誰も本当に実現するとは思っていなかった。当時、猪木の付き人だった藤原喜明はこう振り返る。

「最初にアリ戦の話を聞いたときは、『まさか!?』だったよな。で、実際に実現するってなっても『お金大丈夫かよ?』って。当時はまだ新日本が会社として軌道に乗ってなくて、給料が遅れたりするのも普通だったから、『大金をどう用意するんだ?』っていう思いの方が先立ったよ」

 それでも猪木側は、あの手この手で粘り強く交渉し、アリ側が要求する条件をほぼ全部飲んで、ついに契約に結びつけた。アリのギャラは600万ドル。当時のレートで約20億円、現在の貨幣価値に換算すればその倍以上だろう。アリ戦はそれだけのリスクを背負った猪木の執念によって実現に至ったのだ。

【次ページ】 猪木がリアルファイトにこだわった理由

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