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「“高田明の娘”としてしか判断してもらえない。それが一番イヤでした」Jリーグ理事・高田春奈氏はなぜ東大博士課程で学びを続けるのか? 

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寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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photograph byTomosuke Imai

posted2022/06/25 11:00

「“高田明の娘”としてしか判断してもらえない。それが一番イヤでした」Jリーグ理事・高田春奈氏はなぜ東大博士課程で学びを続けるのか?<Number Web> photograph by Tomosuke Imai

今春からJリーグの常勤理事に就任した前V・ファーレン長崎社長の高田春奈氏。業務と平行して、東京大学で教育思想に関する研究を続けている

スポーツには平和を実現する力がある

――V・ファーレン長崎で仕事をする以前からサッカーとの関わりはあったのでしょうか?

「シドニー五輪の試合や、女子が銀メダルを手にしたロンドン五輪の試合に足を運びました。もちろん素晴らしい体験でしたが、昔はサッカーという競技にそこまで強く惹かれていたわけではないんです。2009年にジャパネットたかたが当時JFLのV・ファーレン長崎の胸スポンサーになったのを機に、結果を気にするようになりました。当時はサッカーという競技以上に、地元のクラブを応援するという気持ちが強かったですね」

――高田さんが考えるオリンピックの魅力というのは?

「アスリートたちの努力や勝利による感動ももちろんですが、やはり平和の祭典というコンセプトがもっとも大切な部分だと思います。今はちょっと変わってしまったところもあるかもしれませんが……。たとえば“オリンピック休戦”は平和の可能性を感じさせてくれるものですし、それを実現できる力がスポーツにはあると感じられるので」

――それはやはり、長崎のご出身という理由も少なからずあるのでしょうか?

「そうですね。原爆を経験し、平和活動を続けている土地に生まれたということは大きいです」

――元々スポーツ好きでもあり、かつ「社会の関わり」についても自然と考える素地ができていたのですね。高校生や大学生のころは、将来スポーツ業界で働くというイメージはありましたか?

「まったく考えていませんでした。当時は情報量の少なさもあり、自分がスポーツ業界で働くという選択肢を想像しにくかったんです。“仕事”として関わりはじめたのは、ジャパネットの広告代理店の仕事をやるようになった2010年ごろからですね。バレーボールのワールドカップや春の高校バレーなど多くのスポーツ協賛をしていたので、そのときに『こういった形でもスポーツと繋がれるんだ』と感じました」

――そして2020年、父の高田明氏に代わってV・ファーレン長崎の代表取締役社長に就任しました。

「2017年にV・ファーレン長崎がジャパネットホールディングスの100%子会社になったとき、私は取締役として人事や広報を担当していて、子会社化のリリースや記者会見の準備、社員の処遇の調整などにも関わっていました。ただ2018年のJ1昇格以降は運営の規模が一気に大きくなり、『現場で回す人間が必要だ』と。それから2年間、他の仕事と兼務しながらV・ファーレンの現場にも入るようになっていたので、社長になるのはある意味で自然だったのだと思います」#2#3へ続く>

#2に続く
「Jリーグ唯一の女性社長」だった高田春奈氏が味わったクラブ運営の難しさと“生きている実感”「いま振り返ると、すごく苦しかった。でも…」

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