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「2試合で2点獲った選手を前半で代えるのかぁ…」あの熱狂から20年、稲本潤一42歳が語った日韓W杯の“忘れがたい悔しさ” 

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寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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posted2022/06/02 11:04

「2試合で2点獲った選手を前半で代えるのかぁ…」あの熱狂から20年、稲本潤一42歳が語った日韓W杯の“忘れがたい悔しさ”<Number Web> photograph by JMPA

2002年の日韓W杯ベルギー戦、左足を振り抜いてゴールを決める稲本潤一。日本中を熱狂させた20年前の記憶を紐解いてもらった

「今にして思えば、日本でワールドカップが開催されるなんて『生きているうちにあるかないか』というくらい特別なことだけど、当時はそういう意識がまったくなかったですね。1999年にワールドユース(現U-20ワールドカップ)があって、2000年にはシドニー五輪。その2年後にワールドカップですよ、という感覚だった。どの大会にも選ばれてきたから、ワールドカップの価値や日本で開催するという凄さを理解していなかったというのが正直な感覚です。だから、気負うこともまったくなくて。まあ若かったというのもあると思うんですけど(笑)。『やってやろう』という気概だけでした」

 スコアレスで迎えたベルギー戦後半。57分に先制点を許すが、直後の59分に鈴木隆行の同点弾が決まり、稲本のゴールは67分だった。その後、フラットスリーの一役を担い、キャプテンを務めていた森岡隆三が負傷交代し、71分に鼻骨を骨折していた宮本恒靖がフェイスガードをつけてピッチへ登場。75分に再び失点して、試合は2-2のまま終了した。

「ベルギーに対しては、試合前のスカウティング映像や前半を戦った印象でも、実力の差があるとは感じていなかった。少しの違いで点が獲れるか、獲れないか。だから、先制点を決められても、選手に焦りはなかったですね。すぐに隆行さんのゴールが決まったし。隆三さんとツネさんが交代したことへの不安もなかった。僕の後ろでアンカー的に戸田(和幸)くんがいたので、僕はなんの迷いもなく『前へ前へ』という感覚でした。

 もちろんバランスを見ることはしていたけれど、ほぼ自分のことしか考えていなかった。ディフェンスラインが変わったからといって、僕のプレースタイルは変わらなかったと思います。勝てなかったというのは事実ですけど、それでもワールドカップで日本が初めて勝ち点を獲った試合なので。負けていれば多少焦りもあるんだろうけれど、試合後も『まだ2試合ある』と前向きな気持ちしかなかったですね」

「どうしてあんなに前に…」ロシア戦の“不思議”なゴール

 そして6月9日。グループリーグ第2戦のロシア戦を迎える。

 キックオフ直後、稲本は中央でボールを拾うと、ドリブルからミドルシュートを放っている。シュートは枠を外れてゴール裏へと飛んだが、勢いを感じさせるプレーだった。

【次ページ】 「守備から入る」意識だったはずが…?

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