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「嫌だなと思いながら父の横を歩いていました」永島優美アナ30歳が明かす、幼少期に苦しんだ“スター選手・永島昭浩の娘”という視線 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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photograph byMiki Fukano

posted2022/06/04 11:02

「嫌だなと思いながら父の横を歩いていました」永島優美アナ30歳が明かす、幼少期に苦しんだ“スター選手・永島昭浩の娘”という視線<Number Web> photograph by Miki Fukano

「めざまし8」「ジャンクSPORTS」などを担当する永島優美アナウンサー。元サッカー日本代表の永島昭浩を父に持ち、「アスリート2世」として生まれた知られざる幼少期とは

「サッカー選手の娘だから運動神経もいいだろうと思われがちですが、そんなことはなく。私は走りも遅いし、球技が一番苦手でした。中学はサッカーが強い学校だったのですが、父から『怪我が怖いからサッカーはダメだ』と言われていましたし、私自身もやろうと思わなかったですね。父がサッカー選手だから、なるべくサッカーとかかわらない方がいいんだろうっていうのをずっと感じていたからです」

 ずっとサッカーを避けていた永島さんだが、その壁は意外と簡単に崩れていく。当時アイドル的人気を誇ったある選手がきっかけだった。

「小学校5年生くらいの時に、玉田圭司選手にハマりまして(笑)。父じゃなくて玉田選手のおかげでサッカーの魅力に気づいたんです。それからは友人といろんな試合を観に行くようになりました」

“極度の人見知り”を変えたチアリーディング

 同じころ、永島さんは人見知りの性格を変えようと、ある行動に出た。

「自分の意見が言えて、クラスでワハハと盛り上げている同級生に憧れの気持ちがありました。自分もそうなりたいと思って、小5の時、友人と音楽会の司会に立候補したんです。そこで人前で話す経験をして、ひとつ壁を乗り越えられたかなと思いました」

 そして中学に入って、関西学院大のアメフト部を見に行った時、チアリーディング部の常に笑顔で、全力で応援する姿に心を打たれた。そこで、中2の時に先輩ら10名とチアリーディング部を創設した。高校でもチアリーディングを続け、高3の時には副部長になってチームをまとめた。5年間で、「サッカー選手の娘」という肩書が気にならなくなり、人見知りも徐々に克服していった。

「最初は、人見知りの性格なので、人前で大きく笑ったり、大きな声を出したりすることが全然できなかったんです。でも、やらざるをえない環境でやっていくと、それが当たり前になって、声を出すことや人前で何かをすることが怖くなくなりました。そうやって徐々に、どんな時も笑顔でいられるようになったんです。

 大学時代や社会人になって、自分を表現する場面ですごく役立ちましたね。チアリーディングの経験がなかったらテレビカメラの前に平常心では立てなかったと思います」

「『嫌だな』と思いながら、いつも父の横を歩いていました」

 チアリーディング部で得たものは、それだけに止まらなかった。大勢の人の前に立ち、笑顔で踊るので、度胸がついた。また、チームスポーツなので全体を俯瞰し、うまく動かしていく経験も得られた。そして、外を一緒に歩きたくないと思っていた父とは、普通に出歩くことができるようになった。

【次ページ】 「当時の悩みを父が知ったのは、社会人になってから」

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