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スポーツ万能少年が東大首席に 草野仁78歳が振り返る“伝説だらけの学生時代”「父から『部活を辞めろ』と言われて…」 

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荘司結有

荘司結有Yu Shoji

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photograph byTakashi Shimizu

posted2022/05/14 11:00

スポーツ万能少年が東大首席に 草野仁78歳が振り返る“伝説だらけの学生時代”「父から『部活を辞めろ』と言われて…」<Number Web> photograph by Takashi Shimizu

数々の番組の「顔」を務めてきたTVキャスターの草野仁さん(78)。学生時代から抜群の運動センスで数々の伝説を残してきた人物でもある

草野 ああ、あれは大学4年の夏休みでした。島原に帰ったら、アマチュア相撲協会の理事長にばったり会いまして。南島原出身で「雲仙山」という四股名で活躍した元力士なのですが、大分国体の代表選考会を兼ねた相撲大会があると言うんですよ。「お前も暇なら参加しろ」と誘われまして。

 軽い気持ちで出てみたら、決勝に残ってしまって(笑)。私はせいぜい77kgほどで、相手は120kg以上ありましたね。

――え! では、勉強一筋だった草野さんがなぜ勝てたんでしょうか?

草野 小さい頃から相撲が大好きだったので、毎日のように友達の家に入り浸ってテレビ放送を見ていたんです。子どもながらに「どうすれば相撲で勝てるのか」とずっと考えていたんですね。

 当時はとにかく栃錦が強かった。小柄な体格なのに、大柄な力士をどんどん倒してしまう。その要領というのが、パッと速く立ち、右の上手を素早く取って、身体をパーンと開いて投げ倒す。いわゆる「上手出し投げ」という技ですね。これこそが身体の小さい私が勝つ方法だと、見て覚えていたわけです。

――その決勝でも「栃錦戦法」を使ったと。

草野 そうですね。最初の取組はまともに四つに組み合った結果、同体で取り直しになって。組んだ時の感じでまあ力負けはしないだろうと思いましたが、四つになってもつれるくらいなら「栃錦戦法」を使おうと。立ち直しの一番は、すぐに右上手を取って、もう3秒くらいで勝負がつきましたね(笑)。

 その後に理事長から「お前を代表選手に推薦する」と言われたんですが、秋の国体はちょうど卒論を書く時期と重なっておりまして……。国体に行けばどんなに立ち向かっても勝てない相手もいるでしょうし、身体を怪我するくらいだったらと考えて、辞退させていただきました。

父のスポーツ禁止命令がなければ、どうなっていた…?

――仮にお父さんにスポーツ禁止命令を受けていなかったら、何らかの競技でトップレベルになっていたかもしれませんよね。草野さんはその可能性を考えたことはありますか?

草野 うーん、どうですかね。相撲だったら小兵力士として頑張っていたかもしれませんね。舞の海くらい強くなれたかな……? 冗談です(笑)。

 でも、本格的にやりたかったのは、やっぱり100mです。10秒台までいけるという手応えはありましたから。平凡な選手で終わったかもしれないけど、ひょっとしたらもう少し先までいけたかもしれないですね(笑)。

――続く中編では、スポーツアナウンサー時代の印象的なシーンや最近の注目選手についてお聞きしていきます。

〈#2、#3へ続く〉

#2に続く
「実はアナ志望ではなかったんです」草野仁78歳に聞く“NHKのエース実況アナ”になるまで「いま実況するなら…フィギュアかな」

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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