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キエフが生んだ名将ロバの話をしよう。

posted2022/03/23 07:00

 
キエフが生んだ名将ロバの話をしよう。<Number Web> photograph by Getty Images

'90年W杯出場時のロバノフスキー監督。ソ連代表監督としてはモントリオール五輪で銅にも導いた

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藤島大

藤島大Dai Fujishima

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Getty Images

 いきなりの戦火。地下壕に震える子どもの涙。ありふれた景色が砲弾に砕かれる。幻のごとき現実がいまそこにある。東京のぬくい部屋でキーボードを叩きながら頭をめぐらせても想像の力は届かない。

 せめてウクライナのキエフ出身の偏屈で聡明で偉大なサッカーの監督について書こう。未来へ結ばれる「過去への敬意」のつもりである。そう。ロバのことだ。

 ロバことバレリー・ロバノフスキーは2002年5月、63歳で世を去った。旧ソビエト連邦時代からウクライナの独立をはさんで計21年強もディナモ・キエフを率いた。実によく勝った。

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