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「足が砕けてもテレマークを入れます」高梨沙羅16歳がライバル対決で示した“プライドと執念”《涙の北京五輪後にW杯で復活優勝》

posted2022/03/09 17:01

 
「足が砕けてもテレマークを入れます」高梨沙羅16歳がライバル対決で示した“プライドと執念”《涙の北京五輪後にW杯で復活優勝》<Number Web> photograph by Getty Images

失意の北京冬季五輪後、ふたたび心を奮い立たせ、ワールドカップで2勝をあげている高梨沙羅。2013年の世界選手権でも、不屈の闘志の片鱗を示していた

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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Getty Images

2013年の世界選手権、当時16歳の高梨沙羅は、サラ・ヘンドリクソンとのライバル対決を前に「足が砕けても」と並々ならない覚悟を語っていた。松原孝臣氏の著書『フライングガールズ 高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦』(文藝春秋)より、史上最年少でワールドカップ総合優勝を果たした天才ジャンパーの偉業を振り返る。(全2回の2回目/前編へ)

2013年、世界一のジャンパーに

 このシーズンの夏、新しい国際大会「グランプリ」がスタートした。個人戦は4大会が行なわれ、総合順位も決めるシリーズである。高梨は、4大会中2度優勝し、初代総合女王に輝く。

 冬になり、2シーズン目のワールドカップ。

 11月24日 リレハンメル(ノルウェー) 優勝

 12月8日 ソチ(ロシア) 2位

 12月9日 ソチ 3位

 12月14日 ラムソー(オーストリア) 優勝

 開幕戦から幸先のいいスタートを切り、ラムソーでの大会を終えて帰国した高梨にアクシデントがあった。北海道名寄市での合宿中、ジャンプの着地でバランスを崩し前のめりに転倒。頭を打った高梨は意識を失い、病院に搬送される事態となった。

 幸いなことに、大事には至らなかったが、ジャンプという競技の怖さをあらためて実感させるできごとであった。

 そんなアクシデントにもかかわらず、高梨は年明けからの遠征に予定通り参加する。

 1月5日 ショーナッハ(ドイツ) 優勝

 1月6日 ショーナッハ 4位

 1月12日 ヒンターツァルテン(ドイツ) 2位

 1月13日 ヒンターツァルテン 優勝

 1月24日 世界ジュニア選手権(チェコ・リベレツ) 優勝

 2月2日 札幌 12位

 2月3日 札幌 5位

 2月10日 蔵王 優勝

 2月10日 蔵王 優勝

 2月16日 リュブノ(スロベニア) 優勝

 2月17日 リュブノ 優勝

 表彰台に上るのは当たり前。優勝すら珍しくなくなっていた。そして2月17日、リュブノで8勝目を挙げると、2大会を残しワールドカップ総合優勝を決める。

 スキーのワールドカップでは男女を通じて史上最年少、日本のジャンプの選手では初めての快挙であった。日本選手の1シーズンでのワールドカップ最多勝利数は、ノルディック・コンバインドの荻原健司とジャンプ男子の葛西紀明の6勝であったから、それをも上回っての総合優勝である。

【次ページ】 ヘンドリクソンとの差はテレマークにあった

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