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還暦後に年間100勝… 競馬界のレジェンド・的場文男65歳が明かす“不滅の大記録”更新の裏側「7000勝でスイッチが入った」 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byKeiji Ishikawa

posted2022/02/27 11:00

還暦後に年間100勝… 競馬界のレジェンド・的場文男65歳が明かす“不滅の大記録”更新の裏側「7000勝でスイッチが入った」<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

65歳の現役ジョッキー・的場文男が、50年目に迫ろうかという波乱万丈の騎手生活を振り返った

4年目の挫折…長兄は「帰ってきたら負け犬だぞ」

「17歳でデビューしたときから、ガムシャラに、諦めずにやってきただけ。原点というか、そもそもは、親がこんなに丈夫な体に産んでくれたおかげかな」

 そう話す的場は、1956年9月7日、福岡県大川市で生まれた。7人きょうだいの末っ子で、運送業で成功した父は競走馬を所有し、的場のすぐ上の兄は佐賀競馬の騎手になっていた。

「小さいころからよく佐賀競馬場に遊びに行き、騎手ってカッコいいなと憧れたんです。『騎手になって一流になるんだ』と、すごく強い気持ちで東京に来ました」

 中学生のときに上京し、大井の小暮嘉久調教師(当時)に見いだされて弟子入りする。毎朝、馬の世話や調教騎乗を済ませてから中学校に通った。騎手としてデビューしたのは1973年10月16日。ということは、来年の10月、デビューから50年を迎えるのだ。

「50年というのは特に意識したことはないなあ。とにかく、最初の3、4年はなかなか勝てなくてね。4年目くらいのとき、もうやめようかな、と思った。九州に帰って、佐賀競馬場で乗ることも真剣に考えたんだけど、一番上の兄に『ダメだ。帰ってきたら負け犬だぞ』と怒られ、大井に残ったんです。それからはとにかく、競馬に乗りたい、勝ちたいという一心だったね」

 デビュー2年目は24勝、3年目は35勝を挙げたが、減量がなくなった4年目は13勝に落ち込んだ。それが5年目の1977年には重賞初制覇となったアラブ王冠賞を含む53勝、翌78年は65勝とV字回復を果たす。

「朝4時前から厩舎作業をするなど、普通なら耐えられないような大変な仕事も、強い気持ちでこなしました。人よりたくさん調教に乗って、人気のない馬でも、そこそこの着順に持ってきた。根性で、どんな試練にも負けずにやっているうちに、22歳くらいから勝ち鞍が増えて、年間7、80勝できるようになり、27歳のとき、初めて大井のリーディングを獲ることができたんです」

 大井のリーディングジョッキーとなったのは、129勝を挙げたデビュー11年目、1983年のことだった。さらに1年置いた1985年から、2004年までの間もその座についた。実に、20年連続「大井の帝王」の座を守りつづけたのだ。

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