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ショーン・ホワイトも「マジですごい滑りだった」と感嘆…平野歩夢、不可解採点への怒りをぶつけた「ハーフパイプ史上最高のラン」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byJIJI PRESS

posted2022/02/12 11:50

ショーン・ホワイトも「マジですごい滑りだった」と感嘆…平野歩夢、不可解採点への怒りをぶつけた「ハーフパイプ史上最高のラン」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

北京五輪を最後に競技を退くショーン・ホワイトは、金メダルを獲得した平野歩夢を最上級の言葉で称えた

 試合は3本目へと進んだ。1人また1人と終えて、残るは最終滑走の平野のみ。3本目にあたり、迷いはあった。2本目と同じ構成で臨むか、あるいは変えるか。実は大会に向けて、もうひとつの技を準備していた。横に4回転半まわる「フロントサイド1620」だ。

 最終的に選んだのは2本目と同じ構成。新しい技を投入するリスクも考慮したが、何よりも、誰もなしえない構成への自負があった。

「2本目にやっていたことの完成度を高められれば(ジェームズを)上回るだろうなと思いました」

 2本目を超える高さを出し、着地もより精度高く決めていく。そのたびに、悲鳴にも似た、驚嘆を含む歓声が上がる。

 フィニッシュ。もはや、勝負の行方は疑いようもなかった。得点は96.00点。逆転で、ついに優勝を果たした。

「怒りをうまく、表現に変えることができました」

 おさまらない苛立ちと怒りを抱えつつ、それを力に変えてみせた平野。自分自身を制御し克服したのは、強靭な精神力にほかならなかった。

スケボーとの“二刀流”で得たものとは?

 何よりもその1本には、この4年の歩みが込められていた。

「挑戦を達成したというか」

 平野はそう表現する。平昌五輪で2大会連続となる銀メダルを獲得したあと、平野は東京五輪出場を目指しスケートボード・パークに挑戦してきた。それが実り、昨夏、日本代表として出場。「似ているようでまったく異なる競技」とスケートボード、スノーボードそれぞれの関係者が語る両競技での挑戦と五輪出場は強烈なインパクトを与えた一方で、リスクでもあった。特に懸念されたのは、東京五輪の開催が延期されたことで、北京五輪までの準備期間が半年間に大きく縮まったことだ。

「(スノーボードから)離れている期間が多かったので、どれだけできるか」

 ただ、決してネガティブにはならなかった。

「スノーボードにないことをいろいろ吸収できたと思っています。スケートボードでの足が固定されていない感覚や、言葉で表せない、いろいろ細かい部分です」

 何よりも大きかったのは、チャレンジの意味を再確認したことだった。

「人ができないことにチャレンジする難しさや自分との闘いが、自分自身を強くしてくれたと思います」

【次ページ】 ショーン・ホワイト「歩夢を誇りに思います」

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