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“羽生結弦のコーチ”ブライアン・オーサー60歳ってどんな人? 「ミスター・トリプルアクセル」と呼ばれた名スケーターが泣き崩れた日 

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田村明子

田村明子Akiko Tamura

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posted2022/02/08 11:02

“羽生結弦のコーチ”ブライアン・オーサー60歳ってどんな人? 「ミスター・トリプルアクセル」と呼ばれた名スケーターが泣き崩れた日<Number Web> photograph by AFLO

「ブライアンの闘い」と称される名勝負となったカルガリー五輪の表彰式。左から、ブライアン・オーサー、ブライアン・ボイタノ、ヴィクトール・ペトレンコ

オーサーの告白「自分が金メダルを取る順番だと思っていた」

「カルガリーでの失望は、サラエボとは比べ物になりませんでした」と、以前トロントで行った単独取材でオーサーは筆者に語った。

「サラエボ当時は自分はまだ若く、順番的にもスコット(・ハミルトン)が優勝する番だという思いもあり、2位という結果に満足していました。でもカルガリーは母国開催でもあり、自分が金メダルを取る順番だと思っていたのです。自分が金メダリストになるという結果以外想定していなかったので、立ち直るのに長い時間が必要でした」

 オーサーは現在でも、あの日の判定はどちらが上でもおかしくなかった、と信じているという。実際、当時の採点方式は、今のようにジャンプ一つ一つが具体的な数字になって評価されるわけではなかった。この大会の女子フリーでは、3回転を5種類合計7本成功させた伊藤みどりが、3回転を4本しか降りなかったカタリナ・ビットの下につけられている。だからオーサーの方の芸術点を高くして勝たせても、それほど無理はない結果だっただろう。

 悔し涙が止まらなかったオーサーの心を慰めてくれたのは、表彰式でのカナダの観客の大歓声。そして良き友人でもあったボイタノの心遣いだったという。なぜ有頂天で喜ばないのかと記者に聞かれたボイタノは、「自分にとって大切な友人が今とてもつらい思いをしているので」と答えたという。

もしオーサーが金メダリストになっていたとしたら…

「でもあれから三十年たった今になってみると、あのとき金メダルをとっていたら、果たして今の自分はあっただろうか、と思うんです。なぜなのかはわからないけれど、オリンピック金メダリストで、その後コーチとして大成したスケーターは、私の思いつく限りではいませんから」。そうオーサーは口にした。

 今のところ、少なくともシングルにおいて、オーサーの言うことは嘘ではない。ボイタノは1月にナッシュビル全米選手権でインタビューをした際にも、自分はコーチに向いていない、と断言していた。

「ブライアンの闘い」を制したのがオーサーだったなら、その後のフィギュア史は変わっていたのかもしれない。もしかすると彼はコーチに転向することはなく、その後彼が指導したメダリストたち、キム・ヨナ、ハビエル・フェルナンデス、そして羽生結弦は、クリケットクラブにオーサーを頼っていくこともなかったかもしれない。

 そう考えると、あの「ブライアンの闘い」は、人々が考えている以上にとても重要なイベントだったことになる。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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