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福島千里が笑顔で引退「頑張れるところは頑張ってきた」…“日本短距離界の女王”はこうして世界と戦ってきた 

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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photograph byJIJI PRESS

posted2022/02/01 11:03

福島千里が笑顔で引退「頑張れるところは頑張ってきた」…“日本短距離界の女王”はこうして世界と戦ってきた<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1月29日に引退会見に臨んだのは、長らく女子短距離界を牽引してきた福島千里だ

 新シーズンが始まって間もない4月の織田記念で、100mの日本タイ記録(当時)となる11秒36をマークすると、6月の日本選手権で初優勝を果たす。

 そして、8月の北京オリンピックに100mで出場した。女子の同種目では56年ぶりのオリンピック日本代表だった。思い出に残る大会を聞かれた福島は、初めてのオリンピックとなった北京大会を「原点」と答えている。まさにこの年から福島の快進撃が始まったと言っていい。

日本選手権はのべ16回優勝…日本女子短距離界のトップに

 2009年の日本選手権は、100mは右脚の付け根に張りがあり決勝を棄権したが、200mで今度は当時の日本新記録をマークし優勝した。

 そこからは他の追随を許さなかった。

 日本選手権のタイトルは、100mが2010~16年の7連覇を含めて通算8回獲得。200mも8回(2009年、11~16年、18年)の優勝を飾っている。特に、2011~16年は6年連続で100mと200mの二冠を成し遂げており、長きに渡って日本女子短距離界のトップに君臨してきた。

 国際大会でも活躍を見せてきた。2010年のアジア大会では日本女子で初めて100m、200mの二冠を達成。さらに、2011年の世界選手権テグ大会では、100m、200mともに、日本女子初の準決勝進出を果たす快挙を成し遂げている。2015年世界選手権北京大会でも準決勝に駒を進めた。

 個人種目だけでなく、4×100mリレーにも2012年のロンドン・オリンピックに出場。エースとして48年ぶりの五輪出場に導いた。

 福島の偉業を並べ立てていくと、枚挙にいとまがないほど。数々の“日本女子初”を果たし、歴史を切り開いてきた。

【次ページ】 怪我に苦しんだキャリア後半…最後まであがき続けた

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