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「月まで行ったんなら、もういいか」ロードレース界のレジェンド・別府史之が走り抜けた“38万キロ”の旅路<特別インタビュー> 

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森高多美子

森高多美子Tamiko Moritaka

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photograph byGetty Images

posted2021/11/23 11:02

「月まで行ったんなら、もういいか」ロードレース界のレジェンド・別府史之が走り抜けた“38万キロ”の旅路<特別インタビュー><Number Web> photograph by Getty Images

2016年のジャパンカップ、市街地レースの「クリテリウム」部門で前年に続く連覇を達成した別府史之。世代交代のサイクルが非常に速い自転車ロードレース界で、トッププロとして長く活躍した功績はまさに“レジェンド”だ

現役生活に区切りをつけた理由とは

 プロのレースは華やかだが、そこで戦い続けるためには、日々いくつものやっかいなことと向き合っていかなければならない。

 一つは食事だ。体重を維持するためには好きなものを好きなだけ食べることは許されない。世界中を旅していながら、その土地ごとの名物を楽しんだかといえば、ほとんどの場合我慢するしかなかった。

 食事制限以上にやっかいなのがドーピング・コントロールだ。

 ロードレーサーは旅が仕事だ。レースの会場から会場へも旅しているし、レースそのものも町から町への旅だ。そのため、ドーピング防止機構に常に居場所を報告し、随時チェックを受ける。飲み食いのたびにドーピングにひっかかりそうなものがないか気を付けなければならないし、ストレスを解消したくても、ケガをしそうな運動は自重しなければならない。プロとして生きていくためにはたくさんの制約がついてまわった。

 そこに、コロナが追い打ちをかけた。

 つらい我慢もレースに出られれば喜びに変えられるが、昨年はほとんどのレースが中止になり、練習で外を走ることさえ禁じられている時期もあった。

 今年になって競技が再開すると、ワンデーレース出場のたびに6日前、3日前にラピッドテスト(抗原検査)。さらに国をまたいで家路に帰る際にも、ふたたび検査を受けるというルーティンが続いた。負担は増えたが、それでもレースに出られれば、まだよかった。

 レースに出場できる機会自体が減らされていったのだ。しっかりと自分の仕事をしても、レース数そのものが少なく、「次」への評価につながらない。出場したレースでもアシストとしての役割がより厳格になり、自由を奪われていった。

「自分のパフォーマンスを見せる場がほとんどなくなって、そうなるともう練習していてもただの作業になってしまって、ぜんぜん楽しくない。気が付いたら昔のことを思い出すことが多くなっていて……。じゃ、ここで一区切りつけようって」

 自転車競技を始めてから、これまでに走った距離はざっと38万キロ。

「よく地球を何周とかっていうじゃないですか。でも、38万キロって、月まで行ったことになるんですよ。月ですよ。月まで行ったんなら、じゃあ、もういいかって(笑)」

 こちらからかけた「お疲れさまでした」の言葉に「別に疲れてないです」と笑って答えた別府は、現状を「余力を残した状態」といい、むしろ「カセが取れて体が軽い」とも語った。すでに次にやりたいことがいくつも待っているという。

【次ページ】 「これからの別府史之を見ていてください」

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