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30年ぶりのフランス杯を逃したASモナコ…名将ベンゲルのもと全盛期マルセイユに勝利した“栄光の1991年”を振り返る《王宮で歓迎会も》

posted2021/09/01 11:00

 
30年ぶりのフランス杯を逃したASモナコ…名将ベンゲルのもと全盛期マルセイユに勝利した“栄光の1991年”を振り返る《王宮で歓迎会も》<Number Web> photograph by L’Équipe

トロフィーを手に喜ぶラモン・ディアス(左)とユーリ・ジョルカエフ(右)。1991年6月8日、モナコはマルセイユを破って6年ぶりのフランス杯を獲得した

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 2021年のフランスカップ決勝はパリ・サンジェルマン(PSG)とASモナコの戦いとなった。結果は2対0でPSGが勝利し、自ら持つ最多優勝記録を14に更新した。同様に7年連続での決勝進出もフランス記録である。

 だが、決勝の前日に発売された『フランス・フットボール』誌5月18日号でオリビエ・ボサール記者がレポートしているのは、PSGではなくもうひとつのファイナリスト、過去に5度優勝し、今回で10度目の決勝進出となったASモナコである。それも最後にフランスカップを獲得した1991年に光を当てている。

 1990年前後のフランスサッカー界は、オリンピック・マルセイユ(OM)の全盛期だった。ヨーロッパ・アディダス社長にしてフランソワ・ミッテラン政権で都市問題担当大臣を務めたベルナール・タピを会長に戴いたOMは、その財力にあかせて選手を集め、89年からリーグ4連覇、1990年9月にはイタリアW杯優勝監督のフランツ・ベッケンバウアーを招聘し、フランス勢初の欧州チャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)制覇を目指していた。

 たしかにマルセイユは、フットボールネーションからはほど遠かった当時のフランスにあって、バルセロナやナポリと同等の熱さを有したサッカーの街であり、OMの人気も全国規模を誇っていた。地域を問わずフランス人から愛されたクラブ。だが、同時にマルセイユは、マフィアが社会を支配する街でもあった。その影響はOMにも及び、さまざまな噂が流れていた(そのほとんどすべてが真実であると思われていた)が、誰も証明できずまた公にできなかった。

マルセイユの裏話はきな臭すぎる

 後にOMの監督を務めたフィリップ・トルシエも、またOMの担当だったレキップ紙の友人の記者たちも口を揃えてこう語った。

「OMの裏話を書こうと思えば、単行本の1冊や2冊はいつでも書ける。でも誰もそれを敢えてやろうとはしない。話がきな臭すぎるし、身の危険を冒したくないからだ」と。

 実際、OMは、93年にACミランを破り、悲願のCL優勝を果たすが、発覚した八百長疑惑でタイトルを剥奪されてしまう。

 そんなOMの全盛期に、彼らの覇権に正面から異を唱えたのがASモナコだった。監督はアーセン・ベンゲル。1987年に37歳の若さでモナコの監督に就任したベンゲルは、そのシーズンにいきなりリーグ優勝を果たし、フランスサッカー界に大きなインパクトを与えた。その後も毎年のようにOMとリーグの覇権争いを続け、92~93年シーズンには「マルセイユに優勝を盗まれた」とOMの不正行為を糾弾した。

【次ページ】 モナコの輝かしい瞬間

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