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愛馬の「突然の死」を乗り越えた馬場馬術・黒木茜が、東京オリンピックへの挑戦を諦めた理由「一番大切なのは…」

posted2021/08/23 17:00

 
愛馬の「突然の死」を乗り越えた馬場馬術・黒木茜が、東京オリンピックへの挑戦を諦めた理由「一番大切なのは…」<Number Web> photograph by JRA/Ryosuke KAJI

愛馬ジジにキスをする、リオデジャネイロオリンピックの馬場馬術日本代表の黒木茜

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カジリョウスケ

カジリョウスケRyosuke Kaji

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JRA/Ryosuke KAJI

 東京オリンピックを目前に控えた2021年6月、リオデジャネイロオリンピックの馬場馬術日本代表の黒木茜は代表選考会を辞退し、オリンピックへの出場を諦めた。直前の競技会成績からも十分に戦えるレベルであったし、馬が故障していたわけでもない。ただ、茜自身が感じていた愛馬の状態の違和感が拭いきれず、100%の状態で出ることは難しいと判断したためだという。

 2大会連続となるオリンピック出場が目の前にあったにもかかわらず、それだけの理由で諦められるものなのだろうか。そこには馬と共に競技に出場する馬術ならではの難しさと、これまでの経験から導き出した茜の苦渋の決断があった。

大人になって始めた乗馬という趣味

 茜は兵庫県で生まれ育ち、医療の専門学校で学び放射線技師として働いていた。大人になるまで乗馬とは全く無縁の環境だったが、20歳の時、自宅に体験乗馬の案内のチラシが入っていた。「馬に乗りたいからついてきて!」という姉に連れられ乗馬クラブに行ってみると、馬が可愛いことを知り、馬が好きになって姉とともに乗馬クラブに入会した。仕事があるので週末だけ。しかし倦怠期もあり、半年ほど通わない時期もあった。

 しばらく間が空いてしまったある日、インストラクターから「久しぶりに来てはどう?」と連絡を受けた。乗りに行ってみると楽しく、乗馬の楽しさを再認識した。続けることで少しずつ上達し、県大会にも出場。”頑張ったことが成果になる”ことの心地よさを感じた茜は、乗馬を頑張ってみようと思い始めた。

日本代表、そしてオリンピック選手へ

 競技会に出場することを楽しんでいた茜は、2012年の全日本馬場馬術大会に出場。予選は12位だったものの決勝では5位に入賞した。2012年の全日本は海外から外国人審判員を招聘していたため、決勝では世界基準での審査を受けることができた。

「もしかしたら海外で乗ればもっといい結果が出るかも……?」

 今では当時のその考えは軽薄だったと苦笑いするが、それでも外国人審判員から高い評価を得たことが何より嬉しかった。そして「海外で活動したい!」「もっと大きな馬に乗ってみたい!」「もっといい成績を残したい!」という気持ちが抑えられなくなってしまった。

 茜は活動資金を捻出するため、放射線技師の仕事を辞め事業を起こした。最初は職場に寝泊まりし経営を含め実務から営業まで全てをこなしながらのスタートであったが、半年ほどでスタッフに運営を任せられるまでに軌道に乗せる。そして満を持してオランダに活動拠点を移した。この頃から茜は企業経営者と馬術選手の両立のため、2週間ごとに日本とヨーロッパを行き来するハードな生活を続けていくこととなるが、当時はまだ馬術を楽しみたい一心で、オリンピックに出場することなど全く考えていなかった。

【次ページ】 人生を変えた、ドイツでの奇跡

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