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《フェンシング初の金メダル》男子エペ団体「みんなで支え合えるのが一番の強み」だから見延和靖はユニフォームを脱がなかった 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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posted2021/07/31 11:07

《フェンシング初の金メダル》男子エペ団体「みんなで支え合えるのが一番の強み」だから見延和靖はユニフォームを脱がなかった<Number Web> photograph by Getty Images

フェンシング界初の金メダルを獲得した男子エペ団体チーム(左から加納、見延、宇山、山田)

 身長こそ177cmと特別に高いわけではないが、見延は腕が長い。そのリーチを生かした攻撃に加え、リオ五輪後にはケガを機に身体づくりを見直し、スピード・パワーも増した。さらに戦術・戦略が問われるエペでは、30代後半や40代になっても活躍する選手が珍しくないように、経験も大きな武器になる。

 世界に対してどう戦うか。見延はエペ男子日本代表のゴルバチュク・オレクサンドルヘッドコーチと共に、自らの武器を磨いてきた。

「日本人は小柄なので、相手の近い場所にもぐりこんで突かないといけない。でも、もぐりこめば当然距離は近くなって、リスクも増える。その状況でも負けないように、接近戦でのコンタクトになっても負けない身体、攻め方を考えながらやってきました。エペは心理戦でもあり、そこは経験値を重ねてこそ得られるものでもある。40歳を過ぎてもまだ世界で勝てる面白い競技なので、僕もまだまだ自分も若手だと思っています」

 グランプリやワールドカップなど、世界各国を転戦して国際試合を重ねる中で勘や経験、スキルを磨く。その結果、見延は19年に日本人フェンシング選手としては太田に次いで2人目の世界ランク1位に。まさ日本のエペ、そして世界で戦うフェンサーの顔とも言うべき存在へと飛躍した。

リオ後に台頭する山田、宇山、加納

 体格差があるから勝てないと言われたエペでも、世界で勝てる。かつて太田が北京でメダルを獲り「自分もメダリストになりたい」と多くの子どもたちがフェンシングに触れ、後輩たちが世界で勝つことを現実的に見据えてきたように、見延が結果を示すことで「この人を超えれば自分も勝てる」という指針となる。

 見延を追うように、日本人エペ選手で初めて世界ジュニア(14年)を制した山田優、宇山賢、そして加納がリオ五輪の翌年から台頭。個人戦だけでなく、見延を含めた4名での団体戦でも次々好成績を残し、18年にはアジア大会を制し、19年にはワールドカップで初優勝を達成した。エペ男子日本代表は、東京五輪のメダル候補から“金メダル大本命”へと躍り出るほど飛躍を遂げていた。

【次ページ】 「本気で頂点を目指しに行く」

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