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やんちゃでケンカに明け暮れ、高校1カ月で退学の男がカズとW杯へ… 日系ペルー人3世・森岡薫の人生を変えた“21歳の個サル” 

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工藤拓

工藤拓Taku Kudo

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photograph byYUTAKA/AFLO SPORTS

posted2021/05/09 17:01

やんちゃでケンカに明け暮れ、高校1カ月で退学の男がカズとW杯へ… 日系ペルー人3世・森岡薫の人生を変えた“21歳の個サル”<Number Web> photograph by YUTAKA/AFLO SPORTS

フットサルW杯メンバーになった当時の森岡薫と三浦知良

「昔の自分の出来が悪かったから、でも……」

「昔の自分の出来が悪かったから。前科者ではないんですけど、違反をしてしまったことはあったので、多分それが残っていて帰化できない原因になってしまったんです。でも、今の自分を見て欲しかった。これだけ一生懸命やっているのに、リーグを代表する選手に成り上がったのに、なんでそこを見てくれないんだって」

 2008年4月。森岡はワールドカップ南米予選を控えたペルー代表の準備合宿に招集された。2度目の帰化申請を断られた直後だったこともあり、充実した1カ月間を送る中で森岡の心はペルー代表へと傾いた。

 それでもひとたび日本に戻ると、諦めきれない日本代表への思いが再燃してくる。

「ペルー代表として公式戦に出てしまえば、俺は日本に恩返しできないじゃないか」

 結局森岡は、一度は承諾したペルー代表でのプレーを断念。帰化できる見通しはなかったが、それでも日本代表でプレーする夢を追い続けることを決意した。

涙が止まらなかった「生まれ変わった瞬間」

「今の段階ではペルー代表として出る自信がないっていう話をさせて頂いて。生まれたのはペルーですけど、育ったのは日本ですし、その時はもう結婚もしていて子供もいて、家族も日本なので。今は形にはなっていないですけど、いつか日本代表になる夢を見て、そっちを挑戦しますと言って、ペルー代表を断ったんです」

 そこから3度目の帰化申請が通るまでには4年もの歳月を要した。「僕にとって特別な日付」という2012年8月1日のことは、今でも鮮明に覚えている。

「僕は自宅にいて、電話がかかってきて『帰化申請についてですが、取得されましたので、いついつ法務局にお越しください』って言われて。もうそこから真っ白になって『え、ちょっと待って、僕の帰化は(許可が)下りたってことですか?』って聞いて『そうです』と言われた瞬間、もうやばかったですね。涙が止まらない。日本国籍を取得できたのはやっぱり、今までで一番大きい思い出かもしれない。フットサルで優勝したことよりも。生まれ変わった瞬間かもしれない、自分にとって」

 最初に申請を行った2006年から丸6年。待ちに待った朗報が届いた時、目指す夢の舞台は2カ月後に迫っていた。

カズとともに代表入りも「地獄だった」

 Fリーグを代表するピヴォの帰化は、日本フットサル界にとって三浦知良のワールドカップ出場と並ぶビッグニュースとなった。ほどなく森岡はミゲル・ロドリゴ率いる日本代表入りを果たすが、本人はそこから本大会までの2カ月を「地獄だった」と振り返る。

【次ページ】 「実は俺、辞退しようと思ってるんだよね」

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