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王様ペレに「神様」と呼ばれた、アフリカ出身初のフランス代表ラルビ・ベンバレクの数奇なサッカー人生 

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フランク・シモン

フランク・シモンFrank Simon

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posted2021/03/21 11:01

王様ペレに「神様」と呼ばれた、アフリカ出身初のフランス代表ラルビ・ベンバレクの数奇なサッカー人生<Number Web> photograph by L’Équipe

1948年5月23日、コロンブで行われたスコットランドとの親善試合でシュートを放つベンバレク

 イデアルはごく平凡なクラブだったが、デビュー戦の相手は強豪のUSモロケンヌ(以下USM)であった。翌35年にイデアルはモロッコカップ決勝に進出。0対1でラシン・クラブに敗れたものの、活躍を認められたベンバレクはUSMに移籍した。当初はリザーブチームに所属した彼に、USMはガソリンポンプ修理工の仕事を用意した。

 そこから運命は大きく開けた。1937年4月11日、フランスB代表がカサブランカで地元選抜チームと対戦した。4対2で選抜チームが勝利を収めた試合で、メディアの注目をさらったのがベンバレクだった。

「ピッチ上のすべての選手のなかで最高の働き」と、新聞各紙は彼を絶賛した。

 噂を聞きつけたオリンピック・マルセイユ(OM)監督のジョゼフ・エイゼンホファーは、自ら地中海を渡って獲得に乗り出したが、USMとの間で条件が折り合わず交渉は妥結にまで至らなかった。移籍が決まったのは翌38年で、彼を乗せた船がマルセイユに到着したのは6月28日のことだった。

 ベンバレクがOMで評価を確立するまでに時間はかからなかった。数試合をこなすだけで彼は、フォワードとしてもまたミッドフィールダーとしても存分に力を発揮した。5カ月後の1938年12月4日にはフランス代表に初選出。ナポリでワールドカップ2連覇のイタリアに敗れた(1対0)ものの、このときまだ21歳。OMでもフランス代表でも、彼の前には洋々たる前途が開けていた。

第ニ次世界対戦をきっかけに再びモロッコへ

 1939年夏、第ニ次世界大戦が勃発したとき、ベンバレクはバカンスでモロッコに帰っていた。モロッコとフランスのふたつの国籍を持つ彼は、その後5年間モロッコでプレーを続けた。古巣のUSMに戻り、2度のモロッコチャンピオンを獲得(1939年と42年)したばかりか、北アフリカ選手権でも4連覇(1940~43年)を成し遂げた。

 1942年にはフランス代表がモロッコを訪れ、カサブランカで北アフリカ選抜と親善試合を行なった。1対1の引き分けに終わったこの試合で、ベンバレクは北アフリカ選抜で唯一のゴールを決めた。彼にアシストとなるパスを送ったのは、プロボクサーとしてウェルター級とミドル級でヨーロッパチャンピオンに輝き(通算成績は123戦119勝4敗、61KO勝ち)、プロサッカー選手としてもUSMのミッドフィルダーとして活躍したマルセル・セルダン(ベンバレクより1年早い1916年生まれ)だった。

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ラルビ・ベンバレク
アトレチコ・マドリー

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