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五輪の父でさえ「女性参加は不快で間違っている」…女性はどうやって“オリンピックの性差別”と戦ってきたのか? 

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飯塚真紀子

飯塚真紀子Makiko Iizuka

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posted2021/03/02 11:02

五輪の父でさえ「女性参加は不快で間違っている」…女性はどうやって“オリンピックの性差別”と戦ってきたのか?<Number Web> photograph by Getty Images

1928年に女性参加が認められた「女子100メートル」

 1884年、フランス、ナントで生まれたミリアは翻訳業を生業とする傍ら、ボート選手として活躍するスポーツウーマンだった。しかし、不満があった。スポーツの世界では、女性に男性と同じ参加の機会が与えられていなかったからだ。オリンピックでも女性が参加できるのはわずかな競技に限られていた。ミリアは、1919年、IOCやIAAF(国際陸上競技連盟)に、1924年のオリンピックに女子陸上競技を含めるよう交渉した。しかし、IOCは聞く耳を持たなかった。

 拒否されたミリアは決意する。「それなら、女性は女性でオリンピックを始めよう!」と。

 ミリアは1921年、国際女性スポーツ連盟(FSFI)を結成。1921年には、モナコで女性のためのオリンピックとも言える“女性オリンピアード”を、1922年はパリで“女子オリンピック”を開催した。

 しかし、IOCはこの動きに難色を示す。“女子オリンピック”というオリンピックの名前が入った大会名を問題視したのだ。IOCは名称を変更するようミリアに要求した。しかし、ミリアはその要求をチャンスに変える。名称を「世界女子競技大会」に変更するのと引き換えに、1928年のオリンピックの陸上競技に女性が参加できる10種目を入れるようIOCと交渉したのである。その結果、実験的に女子100メートル、女子800メートルなど5種目を加えるという妥協点で、IOCとの交渉は決着した。

 IOCの対応に満足しなかったミリアは、その後も、1934年まで、4年おきに「世界女子競技大会」を開催、大会は大成功を収めた。多くの国々が参加し、メディアも書き立て、たくさんの人々が観戦に訪れた。

「女性は体力的に弱いため無理」性差別的な報道で……

 ミリアがIOCから陸上競技の5種目を勝ち取った1928年のアムステルダム・オリンピックも、女性の参加が10%近く占める画期的大会となった。

 しかし、問題が起きる。“女子800メートル”に参加した9名の女性アスリート中6名がゴール後、次々と倒れたのだ。その結果、“女子800メートル”は1960年の夏季ローマ・オリンピックまで、32年の長きにわたり、女子の競技種目から外されてしまったのである。

 ただ考えてみると、走り切った後に倒れこむアスリートは何も女性だけではないはずだ。なぜ、“女子800メートル”は外されたのか? その一因として、世界のメディアがレースで大惨事が起きたと過剰に書き立てたことが指摘されている。メディアの見方は、“女性はか弱いものだ”という固定観念に則った性差別的なものだった。

「6人の女性しかレースを終えることができなかったが、そのうち5人が倒れた。女性たちが疲弊するまで走り続けるのを目にするのは楽しい光景とは言えない」(ピッツバーグ・プレス紙)

「6人の女性たちが地面に真っ逆さまに倒れた」(ニューヨーク・タイムズ紙)

【次ページ】 800mはダメで、テニスやゴルフが許された理由

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