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【手記】大学4年で早稲田大ラグビー部に入部したらどうなるのか? 「早稲田スポーツ」記者の異例の挑戦 

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千葉洋介

千葉洋介Yosuke Chiba

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posted2021/01/21 06:00

【手記】大学4年で早稲田大ラグビー部に入部したらどうなるのか? 「早稲田スポーツ」記者の異例の挑戦<Number Web> photograph by SportsPressJP/AFLO

選手権連覇とはならなかったが、丸尾主将を中心に難しいシーズンを乗り越えてきた早稲田ラグビー部

 ラグビー部への挑戦は、同時に“留年”を意味します。大学最終年にラグビー部に入ることは、就職活動と並行してできるほど甘いものではないと思ったからです。

 当初は並行して入部を目指していましたが、就職活動でお世話になっていた方から「千葉君は2つのことより、1つに絞った方がパワーを出せるタイプじゃないか」と言葉を掛けられ、保険のように就活を続けることをやめようという考えに至ったのです。

 常々「留年はありえない」と言っていた両親には反対されるだろうと決めつけていましたが、逡巡なく私の決断を了承してくれました。そこで自分がいかに恵まれた環境にいるのかを理解することもできました。

覚悟して臨んだ新人練習

 ラグビー部に入部すると決意したわけですが、では実際、この1年間をどう過ごしてきたのか――。改めて振り返ってみようと思います。

 その時点で私には3年ものブランクがありました。トレーナーの友人に練習メニューを相談し、ジムや河川敷で3月下旬にある新人練習を目指し、ひたすらトレーニングに励みました。

 そして迎えた新人練習。高いレベルについていけるか、そもそも下級生の選手たちに受け入れてもらえるのか。不安は募るばかりでしたが、いざ練習が始まるとあっという間に過ぎて、無我夢中で必死に食らいついていきました。

 しかし、そこから数日が経った頃、新型コロナウイルス感染症拡大の影響ですべての部活動に自粛要請が出ました。緊急事態宣言の発令も重なり、そこから長期間に渡ってチームとしても活動できない時間が続きました。

 入部が決まったのは、そんな先が見えない状況下でのオンラインミーティング。相良南海夫監督が丁寧に読み上げる新入部員のリストの中に、私の名前もありました。少し時間はかかりましたが、ようやく目標にしてきた早稲田ラグビー部の一員になれたのです。

上井草に集まったのは6月中旬

 とはいえ、入部後もすぐに練習に合流することはできません。全部員に自宅でできる自重系トレーニングやフィットネスのメニューが提示され、さらにはオンラインライブセッションという任意参加のメニューなどが共有されました。多くが個人の裁量に委ねられる中、早稲田ラグビー部では全部員をグループに分け、それぞれの計画を1週間単位で共有する対策を取るなど、試行錯誤する時間が続きました。

 上井草に全員が集まれるようになったのは6月中旬。我々1年生は、最初の1カ月は大学ラグビーをプレーするために必要な体づくりに専念、そこから徐々にボールを使ったスキルのトレーニングが始まります。技術は体に染み込んでいたものの、どうプレーするかという「判断」にブランクを感じました。

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