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巨人ビエイラ、漫画みたいなブラジル時代秘話 “貧困”も片道6時間かけて練習参加、5カ月で球速17kmアップ 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byNanae Suzuki

posted2021/01/17 06:02

巨人ビエイラ、漫画みたいなブラジル時代秘話  “貧困”も片道6時間かけて練習参加、5カ月で球速17kmアップ<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

粗削りながら巨人での今後が期待される剛腕ビエイラ。ブラジル時代から想像以上の努力家だった

 アカデミーは全寮制で、月に約2000レアル(約4万円)の経費がかかる。しかもビエイラの母親は「そろそろ働いて家計を助けてほしい」と考え、地元のスーパーで働く仕事を探してきた。「将来に何の保証もない野球をいつまでも続けさせられる状況ではない」と言うのだった。

「あと数カ月間だけ野球をやらせてあげて」

 アカデミーで理学療法士として働くデニーゼ・カノは、ビエイラがまだ粗削りではあるが素晴らしい潜在能力の持ち主であることを見抜いていた。彼の才能を惜しみ、タトゥイまで出向いて彼の母親と何度も話し合った。「費用はすべて自分たちが負担するので、あと数カ月間だけ野球をやらせてあげて」と懇願し、本人ともども、3カ月かけて母親を説き伏せた。

 ただし「その間にアメリカか日本のプロ球団から声がかからなければ、自宅へ戻って別の仕事に就く」という約束だった。

「野球が大好きで、身を立てようと」

 それにしても、なぜビエイラはこれほど多くの人から助けてもらえたのか。

 デニーゼは「巨大な才能を持っていることもあるけれど、一番の理由は彼が野球が大好きで、野球で身を立てようと懸命に努力する姿に感銘を受けていたから」と説明する。

 こうして、17歳のビエイラは自分の野球人生のすべてをアカデミーでの数カ月間に賭けることになった。それまでは投手と三塁手を兼務していたが、指導者たちは彼の適性が投手にあると判断した。

 当時、彼を指導したチアゴ・カウデイラ投手コーチは「あれほど目の色を変えて練習する子は見たことがない。入団当初、投手としてはほぼ初心者で、直球は最速133km程度。変化球もほとんど投げられなかった。それが正しいフォームを身につけ、ウエートトレーニングなどで筋力もつけると、球速がどんどん上がった。変化球も少しずつ良くなった」と語る。

入団3カ月後、マリナーズのスカウトが

 アカデミーには、時折、MLBの球団のスカウトがやってきて選手を視察し、気に入った選手がいればマイナー契約を結ぶ。入団から3カ月たった頃、シアトル・マリナーズのスカウトがビエイラに目を付けた。

 9月、ビエイラは晴れてマリナーズとマイナー契約を結んだ。念願のプロへの第一歩が開けたのである。

【次ページ】 2013年WBCにもクローザーとして

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チアゴ・ビエイラ
読売ジャイアンツ

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