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フロンターレ齋藤学が語る「絶望の時期」 ケガでちらついた引退、回復後もベンチ外続きでJ2移籍希望 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byMasashi Hara/Getty Images

posted2020/12/31 11:05

フロンターレ齋藤学が語る「絶望の時期」 ケガでちらついた引退、回復後もベンチ外続きでJ2移籍希望<Number Web> photograph by Masashi Hara/Getty Images

1年半前のケガから苦しい状況が続いた齋藤だったが……

自分の存在意義が見えなくなっていくようだった

 2月16日のルヴァンカップ開幕戦、22日のJ1開幕戦もベンチ外。それでも「試合に出られないことよりもサッカーができないほうがつらかったから」何とも思わなかった。

 コロナ禍の中断期間でも自宅でできるトレーニングを続け、アイスバスも忘れない。中断明けに試合に出ていく準備を整えた。

 だが7月からJ1が再開しても自分の序列は変わらなかった。

 右ひざの状態が悪いと認識していれば理解できる。しかしそうじゃない。コンディションも悪くない。プレーの感覚も悪くない。自分が考えていた現実とはまるで違った。

 途中出場が続いた後に、今度はベンチ外が続く。

 紅白戦にも入れないとなると、「えっ、俺ってここで何してんの?」と自分の存在意義が見えなくなっていくようだった。

 心が折れかけた。

「話をしたら何か変わるっていうんですか?」

「ピッチに立つ権利のない選手って、どんな存在意義があるんだろうって考えましたよ。言葉は悪いですけど、2日くらい死んだように練習していました。周りから見れば一目瞭然だったと思いますよ。練習するだけでも(気持ちが)もうしんどいって」

 声を掛けてくれたのが戸田光洋、寺田周平の2人のコーチだったという。練習を終えて引き上げようとすると、いつも2人のどちらかから呼び止められた。

 こんなやりとりから始まったという。

「ちょっと話しようか」

「いや、いいです。話をしたら何か変わるっていうんですか?」

「それでも話をするよ」

 心を閉じようとする選手と心をこじ開けようとするコーチ。嫌々だったコーチとのコミュニケーションは定例化していくことになる。

 齋藤はしみじみと数カ月前のことを振り返る。

【次ページ】 この時期、齋藤は移籍を希望している

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