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箱根駅伝を18秒差で逃した筑波大学 濃密な衝突と信頼の時間「いつ主将を辞めろと言われるか…」  

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph byHideki Sugiyama

posted2020/12/22 11:05

箱根駅伝を18秒差で逃した筑波大学 濃密な衝突と信頼の時間「いつ主将を辞めろと言われるか…」 <Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2年連続の箱根駅伝出場を目指した弘山駅伝監督と選手たち。左から、猿橋、大土手、西、上迫

練習をすれば出られる、そんな甘い場所じゃない

 今、改めて監督に彼らとの4年間について訊ねると、目を細めてこう言った。

「あの時のチーム改革がなければ、前回も箱根には出られてないですね。ただ練習をしていれば箱根に出られるかといえば、そんなに甘くない。やはり学生たちが心を一つにして、一つの目標に向かっていかないとあの高みには届かないでしょう。トレーニングで言えば、心技体の3つが整った状態で、それらが限界を感じる辺りで1年間ずっと頑張らないといけない。その原動力が何かと言えば、私は仲間の存在だと思うんですね。みんなが本気で勝ちたいと思ったから、チームは変われたんだと思います」

 年を重ねるごとに、学生たちとの信頼関係は深まった。学生たちを信用しているからこそ、コロナ禍でも必要以上の助言は行わなかった。練習メニューは出すものの、実際の練習計画は学生たちが話し合いで決めるよう促してきたという。

 大土手が鬱状態から立ち直ったのも、この仲間ともう一度一緒に走りたいと思えたからだ。

「4月中旬から6月までずっと走れてなかったんですけど、自分の中で期限を決めて、教員採用試験が終わったらもう一度走ることと向き合おうと思ったんです。チームのみんなにも謝って、許してもらえたので、そこからは頑張りました。やっぱり話し合える仲間がいたのは大きかったです」

 夏は例年通り、8月上旬は福島で、下旬からは熊本で合宿を行った。選手たちは春先の出遅れを取り戻そうと懸命に自らを追い込んだ。学生を中心にしたデータ班を持つのは筑波大の強みだが、彼らが血液検査の結果などを伝え、ケガの防止にも努めたという。

 予選会までに、やれることはすべてやった。

 そう思えたからこその、あの涙だった――。

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