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世界王者・村田諒太インタビュー 大学職員時代「サークル系学生の一生懸命な姿」に涙した理由 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byShigeki Yamamoto

posted2020/12/20 11:01

世界王者・村田諒太インタビュー 大学職員時代「サークル系学生の一生懸命な姿」に涙した理由<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

東洋大学職員時代に感じていたことを率直に語ってくれた村田

「足りないことは逆にいいことなんだ」

 今は板橋区に立派な「総合スポーツセンター」ができているが、彼が学生のころは古い施設を使用しなければならなかった。

「でもいい思い出ですよ。昔はプレハブみたいな寮で、お風呂は共同で朝起きて湿度が高くてジメジメしているなと思ったら、壁にナメクジがはっていたり(笑)。でもあのころは足りないのは当たり前で、足りないことは逆にいいことなんだくらいに思っていました。大学生活を振り返っても、楽しかった思い出が多いんです。

 地方から都会に出ていくという経験も大事だったんじゃないかって感じますね。自分の高校や住んでいるところでは“俺は高校チャンピオンや”っていう顔できますけど、東京に出てきたら基本的に誰も自分のことを知らないわけです。環境を変えて、違う世界を見てみる経験は大事でした」

 豪気な彼ゆえホームシックは無縁かと思いきや「いやいや」と苦笑いを浮かべる。

ドラえもんを見ていて、寂しくなった

「最初のころはムチャクチャありましたよ。何気にドラえもんを見ていて、声優さんが大山のぶ代さんから代わっていて、よく分からないけど何だか寂しくなったんですよね(笑)。それで一回、奈良に帰ったくらいですから」

 上京する学生からしてみると、高校時代と環境が一変する。親もいない、地元の友人もいない、知り合いもいない。村田も一から関係を構築して、大学で仲間をつくっていく。それも一つの学びの場となった。ボクシング部にとどまらず、講義で一緒になって意気投合した清田育宏(千葉ロッテマリーンズ)は今も友人である。

 大学のつながりは、高校までのつながりとまた違うと村田は言う。

「地元にいるときはまだ人生設計なんかしないじゃないですか。僕は地元を離れて東洋大学に進んで、今度は曲がりなりにも卒業したらどうしようって考える。まあ、周りのみんなそうですよね。これから社会に出ていくタイミングで解散するので、そういうところでの意思の疎通については大学でつながっているヤツらと深くなっていった感じはありますよね。

 大学ってその名のとおりで大きく学ぶ場だったと思うんです。20歳を迎えて責任ある立場の大人になって、社会に旅立っていく人間としてやっぱり多くのものを見ておいたほうがいい。そのためには横のつながりは絶対あったほうがいいし、知らない世界を見ておくのもいいし、そして学生主体で取り組めるものがあったほうがいいと僕は思いますね」

【次ページ】 「違う分野の学生と交流で得るものって凄く大きい」

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