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岩隈久志1年目のキャッチボール「危ないと、直感が走った」 投球禁止から始まった日米170勝の下準備

posted2020/11/18 11:01

 
岩隈久志1年目のキャッチボール「危ないと、直感が走った」 投球禁止から始まった日米170勝の下準備<Number Web> photograph by Kyodo News

マウンドにいる岩隈のもとへ駆け寄り言葉をかける久保コーチ(当時)

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倉世古洋平(スポーツニッポン新聞社)

倉世古洋平(スポーツニッポン新聞社)Yohei Kuraseko

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 成功の可能性は誰にだってある。プロに入るような常人離れした身体能力を持っている者であれば。今季限りで引退した巨人・岩隈久志投手の昔話を、近鉄時代に指導した久保康生さんに聞き、つくづくそう感じた。

 後にメジャーでも活躍する偉大な投手はのプロ初キャンプは「投球禁止」で始まった。ブルペンにすら入れてもらえなかった。ひたすら「ネットピッチ」と呼ばれる、近距離に投げるフォーム固めの練習に明け暮れた。全国的に無名だったドラフト5位には、「プロでやっていけるのか?」という心配の目も向けられていたようだ。

 昨季までソフトバンクの二軍投手コーチを務めていた久保さんは、近鉄二軍投手コーチだった21年も前の記憶を、スラスラと甦らせた。

「光るもの? そんなことを考える暇もない」

「キャンプ初日にクマのキャッチボールを見て、これは危ないと、直感が走ったんです。基本からやらないといけないと。光るもの? そんなことを考える暇もなく、故障をさせてはいけないという思いだけです」

 原因はフォームにあった。

 今は便利な時代。インターネット上にある東京・堀越高時代の映像を見る。長い腕のせいか、テイクバックが大きく見えるけれど、クセが少なく全体的にまとまっているように映る。特に、腕の振りはしなやかだ。何か問題を抱えているようには見えない。しかし、プロの目は違った。

「その腕のしなりが原因です。腕が振り遅れる上に、腕がしなるものだから、体重移動をしても、腕が付いてこない。遅れてしまうのです」

当時のあだ名は「アナグマ」

 肩、肘が悲鳴を上げることが予見でき、投げ方の矯正に着手した。「ネットピッチ」の利点は、球筋、制球を意識しなくていいこと。体への負担も少ない。多い日で1日に200~300球を投げた。「何年後かに良くなれば」という温かい目で見守られながら、太陽の国、宮崎でのプロ1年目キャンプを終えた。

「アナグマって呼んでいました。練習の合間に、ロッカーから出てこなくなるから。また厳しい練習が始まるからって、隠れていたんだろうね。クマがアナグマになったから、誰か呼んできてくれーってことがあったなあ」

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