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羽生善治・藤井聡太…2人の天才を見守ってきた“将棋盤工場”の父と子 “苦しい時代”から将棋ブームの先へ

posted2020/11/01 17:04

 
羽生善治・藤井聡太…2人の天才を見守ってきた“将棋盤工場”の父と子 “苦しい時代”から将棋ブームの先へ<Number Web> photograph by Tadashi Shirasawa/Satoshi Shigeno

羽生善治と藤井聡太。2人の天才は将棋界を動かし、そしてその波に対応してきた工場がある

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茂野聡士

茂野聡士Satoshi Shigeno

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Tadashi Shirasawa/Satoshi Shigeno

 藤井聡太二冠の誕生、そして50歳となった羽生善治九段が通算タイトル100期に向けての竜王戦挑戦――。2人のスターを筆頭に、ニュースで将棋が扱われることがごく普通になった。2020年にこんな時代が来ると想像した人はどれだけいただろうか。

 ここ近年は『将棋ウォーズ』などオンラインでの対戦アプリが流行しているとはいえ、将棋盤を使って指すのはやはり特別だ。バットやラケットを握ったり、ボールを蹴るのと同じく、モノを身体で扱う楽しさが湧いてくる。

 そう思う人は、多いようだ。

「藤井ブームで将棋盤の売り上げアップ」

 そんな記事を何度か目にした。ではその将棋盤を作っている人たちはどんなことを感じて“将棋ブーム”と向き合っているのか、話を聞いた。

将棋盤を作り始めたきっかけ

 茨城木工は神栖市の利根川河口、太平洋にほど近い場所にある。ここは関東地方の中でも気温の上下動が緩やかで、木材を扱う場所としては理想的な場所なのだという。現在では盤のオーダーメイドや修理なども手掛けている“囲碁・将棋盤のスペシャリスト”だ。代表取締役社長の泉謙二郎さんは昭和30~40年代、将棋盤制作を始めたきっかけについて懐かしそうに語りだす。

「ここの灘ではハマグリが取れて、それが碁石の原料になったので碁石作りを始めたんですよ。でもだんだんハマグリがなくなってきて、碁石ではなく囲碁・将棋盤を作れないか……となったんです。で、この辺りは漁業の町なんですよ。当時、船が木造船から鉄の船に変わる時期で、船大工さんや樽を作っていた樽職人さんたちが加わってくれて。将棋盤や碁盤を作る技術に転用できたんでね」

【次ページ】 遊びは将棋からコンピューターゲーム全盛期へ

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