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芥川賞作家を救った筒香嘉智のホームラン 横浜とベイスターズと日本プロ野球の「神話」 

text by

高山羽根子

高山羽根子Haneko Takayama

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photograph byHideki Sugiyama/Miki Fukano/Takuya Sugiyama

posted2020/10/01 11:40

芥川賞作家を救った筒香嘉智のホームラン 横浜とベイスターズと日本プロ野球の「神話」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama/Miki Fukano/Takuya Sugiyama

野球は長い間、横浜という街を熱狂させてきた

新世紀。横浜名物の白い老女の映画を見た

 その後、世界は新しい世紀を迎えた。つまり結局ノストラダムスの大予言は的中しなかった。中華街のある関内・石川町エリアは野球に興味のない人たちでにぎわっていた。黄金町のあたりが「浄化」と呼ばれる政策によってアート地区になり、濱マイクシリーズで有名だった横浜日劇が無くなって、港のほうにはBankARTができ、赤レンガ倉庫がユネスコに表彰される。高校生のとき一度だけ見た横浜名物の白い老女の映画が公開されたのも新世紀になってからだ。

 中華街に、3人の野球選手の看板が立ったのはいつだったか。確か同時期に中華系3人の助っ人が集まったということで応援企画がなされていたのかもしれない。

 私が横浜スタジアムに自発的に行くようになったのは、時期としたらそれからずいぶん経ち、ベイスターズの親会社がTBSからDeNAになったあとだった。それも別に横浜のファンになったから、というわけでもない。そのときたまたま横浜市内に住んでいて、自転車で横浜公園のあたりまで行けたからだ。そのころは今みたいにチケットが取り難いということもなかった。

村田や筒香が打てば、嫌なことがすうっと消えた

 さらに数年たち、ベイスターズは監督が替わった。ベネズエラ出身の、ヤクルトや巨人でも活躍していた助っ人、アレックス・ラミレス氏だった。今まで日本の野球チームの監督をコーカソイドの外国人が務めていた記憶はあるけれど、中米の助っ人が監督になっていることがとても新鮮に感じられた。それにオーナーが女性であることもあって、NPBの日本人男性が並ぶオーナーと監督陣の中で、スーツで決めた南場智子オーナーとラミレス監督が、ミーハーなことだが、なんだかとてもかっこよく見えたものだ。

 そのころにはすでに、横浜スタジアムに行くのは自分の、大切な楽しみのひとつだった。ハマスタバージョンのシウマイ弁当とみかん氷を食べながら、のんびり試合を眺める。大抵は内野席に座って試合を眺め、応援歌もあまり歌わない。相手選手のホームランにも拍手をしてしまう程度の、ライトなファンであることは今でもさほど変わらない。大勢で行くときは応援や歌にあわせて掛け声を出すこともあるけれど、大抵の時はユニフォームを着ることもなく内野席で食べ物を膝にのせてニヤニヤしながら野球を見て過ごす。どのチームにも好きな選手が何人もいる。相手チームの好プレイに「いやーやっぱり怖いなあ」「いいところに打つなあ」と悔しがりながら、ちょっとテンションが上がってしまう。そういうふうに考えると、NPBの箱推し、という言いかたが適切かもしれない。

 そうは言っても、村田選手や筒香選手がホームランを打てば、その日抱えていた仕事上の嫌なことが、ボールのように青空へ飛んで、すうっと心の中から消えていった。勝負事にずっとぴんと来ない自分にとっての野球が、ほかの人のそれとは楽しみかたが違うのかもしれないけれど。

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