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50年前の選手宣誓に衝撃を受けた。
甲子園の変化は成長か、それとも……。 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph byKyodo News

posted2020/08/18 11:30

50年前の選手宣誓に衝撃を受けた。甲子園の変化は成長か、それとも……。<Number Web> photograph by Kyodo News

50年前の甲子園も満員だった。定型文を読むことと、大人の期待に応えた言葉を発すること、自由なのはどちらだろうか。

空気が変わったのは2011年の夏だった。

 では、いつから変わったのか。

 2011年だ。

 この年の夏、第93回の選手宣誓を行ったのは、金沢高校(石川)の石田翔太主将だ。

「春から夏にかけて、どれだけの時が経っても忘れることのない、さまざまなことが起きました。

 それでも、失うばかりではありません。

 日本中のみんなが仲間です。

 支え合い、助け合い、頑張ろう。

 私たちは精一杯の笑顔で、全国の高校球児と、思いを白球に込め、この甲子園から消えることのない深い絆と勇気を日本中の仲間に届けられるよう、全力でプレーすることを誓います」

 2011年のキーワードは「絆」であるが、あの時の空気を凝縮した文章である。全部で171字、短めで思いがしっかりと伝えられているが、「仲間に届けられるよう」という文章が示す通り、甲子園が背負う役割が明示されている。

2010年はずいぶん牧歌的である。

 では、その1年前はどうか。

 2010年の第92回大会の選手宣誓を行ったのは、福井商業の小倉凌主将だ。

「熱い熱い僕たちの夏が今年もやってきました。

 今、僕たちは全国の球児の代表として誇りを胸にあこがれの舞台、甲子園に立っています。

 今年は連日、猛暑が続いています。しかし、僕たちはそれ以上に熱く炎のように燃えるような気持ちで、皆さんに元気を与えたいと思っています。

 今まで自分たちがやってきたことを信じ、また、この場所で野球ができる事に感謝して、明るく笑顔でプレーすることを誓います。

 夏の夢、今、走りだす」

 作文調にはなっているが、猛暑のなか、「明るく笑顔で」プレーすることを謳っている。

 2010年と、2011年。

 ここで日本は変わったのだろう。

 そしてより俯瞰して捉えるならば、20世紀といまでは、夏の甲子園の役割が変わったのだ。

【次ページ】 高校生が「勇気と活力を与える」こと。

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