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<オリンピック4位という人生(12)>
北京五輪 女子卓球・福岡春菜 

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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posted2020/07/05 09:00

<オリンピック4位という人生(12)>北京五輪 女子卓球・福岡春菜<Number Web> photograph by AFLO

韓国との3位決定戦、2連敗で追い込まれた3戦目のダブルスを平野早矢香(右)と戦った福岡春菜。

「団体戦の秘密兵器」

 福岡の名が世に知られたのは22歳の春だった。ドイツ・ブレーメンでの世界卓球。

 国際大会で初めて繰り出した王子サーブは名だたる名手たちを翻弄した。見たことのない回転量と変化に触ることすらできない選手もいた。1つの失格負けを除いて全勝し、団体銅メダルを獲得した。

「ひたすら相手にやりにくいと思わせて勝つ。それが私のスタイルでした」

 邪道が異質という武器になった瞬間だった。相手が福岡のサーブにようやくついてこられるようになったときにはゲームが終わっている。国内でのタイトルはなかったが、海外での勝率は群を抜いていた。そういう点で福岡は「オリンピック団体戦の秘密兵器」と呼ばれるようになっていった。

 いつしか自分の前にあった無数の序列を飛び越えていた。そして北京五輪の4カ月前、熾烈な選考レースを制し、福原、平野に次ぐ3番目の五輪切符を手にした。

「あれは忘れもしない3月8日でした。私がオリンピックに出られるなんて誰も考えていなかった。だから私の中ではもう出られた時点で金メダルだったんです」

最後の1ポイントの直前、弱さが。

 メダルをかけた韓国戦の前夜、福岡が考えていたのはそのことだった。あのときオリンピックは自分だけのものだった。誰が信じてくれなくても、突っ走ってきた。

「それがオリンピックにきて、メダルを背負った途端に息が詰まって、深呼吸もできずにプレーしているようでした。私は愛ちゃんにもさやかちゃんにも一度も勝ったことがなかったので引け目もあって、私が足を引っ張っていると……。途中からは遠くから2人を眺めているような感覚でした」

 気づけばまた、他人にあって自分にないものばかりを見ていた。オリンピックはいつのまに他の誰かのものになってしまったのか……。魔法のラケットはいつからただの木塊になってしまったのか……。そう考えるうち、ほとんど眠れずに夜が明けた。

 試合場へと向かうバスの中でも思考は堂々めぐりを続けた。会場に着き、練習をして、メンバー発表を聞き、そしてVTRを再生するかのように日本はストレートで敗れた。福岡はほとんど何もできなかった。

 韓国選手の打ち返してくる球は最後まで嫌になるくらい重かった。そして最後の1ポイントの直前、福岡は気づいてしまった。

『自分のミスで終わりたくない』

『私のところに飛んでくるな』

 自分の心底に目を背けたくなるような弱さがあることに気づいてしまったのだ。

「終わったあと、ふたりと目を合わせることもできませんでした……。私たち3人は大会中もずっと一緒に仲良く過ごしていましたが、それより一度腹を割って話しあうべきだったのかもしれません。私は一番年上だったのに引け目があって、そういうことも何もできませんでした」

 大会の後、ある関係者に言われた。

『北京は失敗だった――』

 あの瞬間は忌むべき傷痕になった。

【次ページ】 北京の記憶に砂をかけ続けていた。

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