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生前のクライフの“理論派監督”批判。
では、真に「美しいサッカー」とは? 

text by

永井洋一

永井洋一Yoichi Nagai

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photograph byANP/AFLO

posted2020/06/28 19:45

生前のクライフの“理論派監督”批判。では、真に「美しいサッカー」とは?<Number Web> photograph by ANP/AFLO

“フライング・ダッチマン”ヨハン・クライフは、優れた選手であるだけでなく、まさに革命家だった。

「今のFWは私よりもずっと走っていますね」

「的確なポジショニングとミスのないテクニックさえあれば、選手は長い距離を走らなくでも良いプレーができるのです。仮にプレーする地域の横幅が50mあったとすれば、私たちのチームでは左のウイングが15m、右のウイングが15m、そして真ん中で私が15mくらいしか動く必要がありませんでした。今のFWは私よりもずっと走っていますね」(クライフ)

 当時のオランダ代表にはニースケンスやハーン、クロルなど好選手がそろっていた。その多くが'71~'73年に欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)を3連覇したアヤックスのメンバーであり、代表チームの戦術イコール、アヤックスの戦術でもあったので、チーム内の共通意識は高いレベルで維持されていた。しかし、カオスとクリエイティブという相反する概念を両立させ、人々を魅了するフットボールを成立させるには、クライフの突出した才能が欠かせなかったことは確かである。

「自身の才能よりもチームづくりのフィロソフィー」

'74年大会の東ドイツ(当時)戦。雨足の強まった天候に合わせてクライフは試合中にスパイクを履き替える。そのとき、彼への密着マークを命じられていたバイゼは、試合が流れているにもかかわらず、タッチライン際に立ったままクライフがプレーに戻るのをじっと待った。長いW杯の歴史の中で、後にも先にもこんな笑い話のようなシーンは他にないであろう。靴を履き替えている間もマークされ続けるほど、クライフは特別な存在だったのだ。

 それでもクライフは、「自身の才能よりもチームづくりのフィロソフィーが果たした役割が重要だ」と語った。ボールを支配し続け、攻撃時間を増やすというフィロソフィーの下、正確なテクニックと的確なポジショニングを身につける育成を行ない、それを具現できる才能を持つ選手を積極的に登用していくこと。決して目前の勝利ばかり求めて走力、体力にものをいわせる選手を重用しないこと。その理念こそが、あのフットボールを完成させたのだと。

「私は17歳でアヤックスの一軍に入りましたが、コーナーキックをゴール前まで届かせることができませんでした。キックカがなかったのです。しかし、当時の指導者は私の資質を見抜いてくれていました。キックカがなくても、試合に出してくれたのです。

 つまり、ポジショニングとテクニックを重視してくれたので、その後の私があるのです。今のアヤックスでは、当時の私のようにキックカがなければ、三軍でしかプレーできないでしょうね」

【次ページ】 グアルディオラを見出した時の逸話。

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