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史上最高のワールドカップはどの回だ?
前編・ブラジルは革命的だった。 

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エリック・フロジオ&バレンティン・パウルッツィ

エリック・フロジオ&バレンティン・パウルッツィEric Frosio et Valentin Pauluzzi

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photograph byL'Equipe

posted2020/06/30 11:40

史上最高のワールドカップはどの回だ?前編・ブラジルは革命的だった。<Number Web> photograph by L'Equipe

初めて《白いペレ》と呼ばれたトスタン。ブラジルサッカーを牽引し世界をうならせた1人だ。

ブラジルの準備は革命的だった。

 1970年メキシコワールドカップ決勝から50年後の今、ふたりの主役のバーチャル対談が実現した。アレッサンドロ・マッツォーラ(77歳、元イタリア代表)とトスタン(73歳、元ブラジル代表)が夢の大会を振り返る。

――トスタン、大会直前の監督交代(選手を掌握しきれなかったジョアン・サルダーニャが更迭され、マリオ・ザガロが新監督に就任)はブラジルのワールドカップ準備にどんな影響を与えましたか?

トスタン(以下T):準備プログラムには何の変化もなかった。われわれはプラン通りに行動した。ブラジルで3カ月合宿をおこない、グアダラハラ(メキシコ)で21日間の高地トレーニングを実施した。現地のコンディションに適応するためのプランだった。同様にフィジカルトレーニングも集中的におこなった。

 1966年の惨敗(ブラジルは3連覇を目指したイングランドワールドカップで、1勝2敗でグループリーグ敗退)の後は、シュートの練習にも力を注いだ。まるで軍隊のように、厳しい練習を規律正しくこなした。コウチーニョ(=クラウディオ・コウチーニョ。後のブラジル代表監督。1978年アルゼンチンワールドカップで3位入賞)とパレイラ(=カルロス・アルベルト・パレイラ。後にブラジル代表を率いて1994年アメリカワールドカップ優勝)のふたりのフィジカルコーチが、私たち選手を徹底的に追い込んだ。

 それがあったからこそ、私たちの準備は革命的であったと言いたい。ブラジルがこれだけ集中的にフィジカルを鍛えるのはかつてないことだった。最終的にブラジルは、他のどの国よりもメキシコの高地に適応したんだ。

ショートパスを繋ぐブラジル流に。

――アレッサンドロ、あなたの場合は準備はどうでしたか?

マッツォーラ(以下M):1967年にインテル・ミラノがメキシコ遠征をおこなった際に、標高2500mのトルーカで試合をしてフィジカルを激しく消耗した。10m走ると、その後2~3分休まなければプレーを続けられなかった。

 大会数日前におこなわれた最後のテストマッチ(対ポルトガル戦)で、私はスタメンから外された。後半に交代でピッチに入ったとき、チームメイトたちに「《ブラジル流》のショートパスを数多く繋ぐスタイルで落ち着いてプレーしよう」と伝えた。彼らは私を見て奇妙な顔をしたが、そのやり方はとてもうまくいった。ロングボールと素早いカウンターアタックをベースにしたイタリアスタイルを放棄して、ブラジル流が私たちの新しいスタイルになった。

【次ページ】 ペレとの連携をテストした結果。

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