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J1仙台内定の大型DFアピアタウィア久。
急成長の裏にCB転向と母のサポート。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

PROFILE

photograph byAFP/AFLO

posted2020/06/07 11:50

J1仙台内定の大型DFアピアタウィア久。急成長の裏にCB転向と母のサポート。<Number Web> photograph by AFP/AFLO

J1仙台への来季加入が決まった大型DFアピアタウィア久(流経大4年)。2018年には、自身初となる世代別代表にも選出された。

自身も驚いた強豪大からのオファー。

 するとこの活躍が認められ、名門大学からオファーが届いた。流通経済大と阪南大という東西の強豪からの思わぬラブコール。このことを真っ先に伝えたのは母だった。

「これでサッカーが続けられるね」

 母は自分のことのように喜んでくれた。その笑顔で安心した彼は、「関東で勝負をしたい」と流経大への進学を決める。

「進路も決まり、もう母に自分をごまかす嘘をつく必要はなくなったと思うと、それが嬉しかった。それにやっぱり母は僕の気持ちを分かっていたんでしょうね。多分、僕が強がっていると見透かされていたと思います。なので、僕が堂々と胸を張って気持ちを言えるようになってからの(母の)笑顔は違いました」

 選手権では初戦で強豪・東福岡高の前に敗れたが、大学のステージでアピアタウィアは飛躍的な成長を見せる。

「スカウトしてくれた大平正軌コーチや中野雄二監督などには『長所で絶対に誰にも負けるな』と言われ続け、僕にとってはそれがヘディングと対人(の強さ)だったのでひたすら磨きました。さらに武器を磨くだけでなく、ビルドアップやカバーリングなど足りない部分も徹底して教え込まれました」

 大学1年のリーグ最終戦でトップデビューを果たすと、サイドバックとしても出場機会を与えられ、インカレ制覇に貢献。その活躍が認められ、2018年3月にパラグアイ遠征に向かうU-21日本代表に初選出された。これまで市レベルの選抜すら入ったことがなかった選手の世代別日本代表入りは、まさに異例と言えるだろう。

 これで自信を掴んだアピアタウィアは、大学2、3年時にはこの2つのポジションで成長を続けた。CBとしてはビルドアップの質を磨き、サイドバックでは今までやったことがなかったオーバーラップとクロスを上げさせない守備を学んだことで、彼のプレーの幅は大きく広がった。

「おめでとう。よくがんばったね」

 そして、今年2月に届いた念願のJクラブからのオファー。

「もう迷いはありませんでした。(仙台の)スカウトの方も物凄く熱心で、『アピのサッカー人生を成功させたい。ぜひウチに来て欲しい』と僕を必要としてくれて、もうここで絶対に期待に応えたいと思った」

 ついにプロの道が開けた。電話越しに母の声も弾んでいた。

「おめでとう。よくがんばったね」

 このひと言で救われた。努力を誰よりも間近で見てきてくれたことはわかっていたから、これ以上の言葉はいらなかった。電話の向こうで笑う母の表情を思い浮かべていた。

「プロになるという目標は達成できた。でも、これで終わりではないし、もっともっと母を笑顔にしたい。プロになってもすぐにクビになる選手もいるので、そうならないように活躍をしたいし、今まで母に迷惑をかけた分、全力で恩返しをしたいです」

 最後に彼は改めてこれまでのサッカー人生を振り返った。

「あれほど自分が周りと違うことに葛藤していたのに、今は逆に両親からこの身長、身体能力を与えてもらえたと、ハーフであることに誇りを持てるようになりました。それは全てこれまで関わってくれた家族と指導者の人たちがいてくれたから。そこに感謝の気持ちを持ち続けながら、僕がより努力して活躍することで、ハーフの子供たちの希望になりたい。これからはみんなに憧れられるような選手になることが目標です」

 アピアタウィアの挑戦はこれからがスタートだ。

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