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日韓W杯の招致が決まった日。
「共催」への落胆と本大会の熱狂。 

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戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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posted2020/05/31 09:00

日韓W杯の招致が決まった日。「共催」への落胆と本大会の熱狂。<Number Web> photograph by Kyodo News

2002年のW杯が決まった時、誘致を喜ぶ人と共催であることにがっかりする人がいたことは記憶される価値がある歴史であろう。

武器はFIFA会長とのパイプ。

 W杯のような国際イベントの招致に、政治力は欠かせない。ここで日本が拠りどころとしたのは、FIFA(国際サッカー連盟)のジョアン・アベランジェ会長とのつながりだった。ヨーロッパと南北アメリカ以外での開催は彼の発案であり、’74年からFIFAのトップに立つブラジル人の後ろ盾を受け、日本は単独開催へ向けて邁進していった。

 権力が一点に集中して巨大化すれば、対抗勢力がうごめくものだ。アベランジェ後のFIFAを見渡した勢力が、開催国決定を前に利害を一致させる。UEFA(欧州サッカー連盟)がレナート・ヨハンソン会長のもとで足並みを揃え、アベランジェの推す日本開催を覆そうとしてきたのだ。

 反アベランジェ勢力はアフリカ勢を取り崩し、31日の投票を前に過半数を獲得する。このまま投票へ持ち込まれれば、日本と韓国の共催となる。

 対抗勢力の動きを察知したアベランジェは、日本に共催を提案してきた。共催を提案したのはあくまでも自分だ、という自己保身だった。2002年のW杯開催国決定レースは、FIFA内部の権力闘争にすり替わっていたのである。

日本の立場は限りなく敗者だった。

 アベランジェの支えを失った日本は、共催を受け入れるしかなかった。スイス・チューリヒ入りしていた招致委員会関係者は「強硬に単独開催を主張しても、悪い流れへ傾いていくだけ」と判断し、灰色決着を呑み込むことになる。

 日本の政界には、「韓国との招致レースに勝つと、反日感情が高まる」との懸念も広がっていた。それだけに、「共催はどちらの国も傷つけない落としどころ」とも報道されたが、アベランジェに土壇場で突き放された日本は敗者の立場に限りなく近かった。

 国際大会の共催は、いまや有力な選択肢となっている。2000年にベルギーとオランダが共催したユーロは、’08年にオーストラリアとスイスを、'12年にポーランドとウクライナを舞台に行われた。アフリカネイションズカップ、CONCACAF(北中米カリブ海サッカー連盟)ゴールドカップ、アジアカップなどの大陸選手権でも、一度ならず共催が選ばれている。新型コロナウイルスの感染拡大で来年に延期されたコパ・アメリカも、アルゼンチンとコロンビアの2カ国で展開される予定だ。

【次ページ】 2026年は3カ国での共同開催。

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