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引退会見でも彼はラガーマンだった。
大野均の19年、決意と感謝と今後。

posted2020/05/25 19:00

 
引退会見でも彼はラガーマンだった。大野均の19年、決意と感謝と今後。<Number Web> photograph by AFLO SPORT

192cmの体格、それに似合わぬ走力、そして何より、溢れ出る闘志。大野均が日本ラグビーに残したものはとてつもなく大きい。

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戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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AFLO SPORT

 涙はなかった。すっきりとした穏やかな笑みが広がった。

 ラグビー元日本代表の大野均が、5月22日にオンラインで会見を行なった。42歳での引退発表だった。

“鉄人”と呼ばれた。19年のキャリアで残した数字が、日本ラグビー界を力強く牽引した姿を映し出す。

 2001年に東芝府中ブレイブルーパス(現在は東芝ブレイブルーパス)に入団し、3度の日本選手権制覇と5度のトップリーグ優勝に貢献した。トップリーグのベストフィフティーンには9度も選出され、09-10シーズンにはリーグ戦MVPにも選ばれている。

 トップリーグ通算170試合出場は、19-20シーズン開幕時点で歴代最多だった。東芝の調べによれば、トップリーグ開幕以前の東日本社会人リーグ、全国社会人大会、日本選手権などを含めると、公式戦通算出場は234試合にのぼる。

 日本代表では2004年5月の韓国戦で初キャップを獲得する。W杯のメンバーには’07年、’11年、’15年と3大会連続で選ばれた。

記憶に残る「ブライトンの奇跡」。

 会見で印象に残る試合を聞かれた大野は、「桜のジャージを着て出場したすべての試合が、自分のなかでは印象に残っています」と切り出し、「強いて言えば」と前置きをして’15年W杯の南アフリカ戦と’13年のウェールズ戦をあげた。

 '15年の南アフリカ戦は、「ブライトンの奇跡」と呼ばれた一戦である。3度目のW杯で大会初戦に初先発した大野は、後半途中の54分までプレーした。

「南アフリカ戦の1週間ぐらい前は、世界一と言われる練習を積んできて、それでも負けたら日本が世界で勝てる日は来ないんじゃないか、という漠然とした不安みたいなものがありました。過去2度のW杯では、『この舞台で勝つのはこんなに難しいのか』と、思い知らされていましたので。

 南アフリカ戦の前はプレッシャーを感じて眠れなかったこともありましたが、その一方では、自分たちがやってきたものをしっかりと出せば、世界中の人たちが予想するような試合にはならない、無様に負けるようなことはない、とも思っていました」

【次ページ】 ウェールズに0-98で負けてから9年。

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