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錦織、ジョコ、フェデラーを口説き、
ユニクロとテニスを繋いだ坂本正秀。 

text by

内田暁

内田暁Akatsuki Uchida

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photograph byHiroshi Sato

posted2020/03/18 11:40

錦織、ジョコ、フェデラーを口説き、ユニクロとテニスを繋いだ坂本正秀。<Number Web> photograph by Hiroshi Sato

錦織圭、ユニクロ柳井社長、フェデラー。彼らが一緒に笑顔で写真に収まるのは坂本正秀の粉骨砕身あってこそだ。

錦織と柳井氏をパリで引き合わせた。

 事実、その出会いから数年後には、坂本自身が錦織を支える人物の1人となる。

 2010年。この年の錦織は、前年の肘の手術から復帰しランキングが下がった中で戦っていた。ケガでツアーを1年近く離脱したことで、彼の評価も下がっていた頃だ。そこで坂本は、以前より自身の父を通じて親交のあったユニクロの柳井正社長と、錦織が会う席をセッティングする。

 場所は、パリの日本食レストラン。その時には契約の話はしなかったが、柳井は錦織に「将来世界一になるんだろ、もっと食べなきゃダメだ!」と次々に食事を勧めるなど、会食は活気ある空気に包まれた。

 その初対面から半年後の2010年末、錦織は契約先にユニクロを選ぶ。同時に坂本も“アドバイザー”の肩書を得て、ユニクロの選手獲得やプレーヤーサービスに深く関わっていくのだった。

 かくしてテニス界にウェアブランドとして本格参入したユニクロの、創業時からの理念は一貫して、「目指すは世界1位」である。

「世界で一番のテニス選手である、フェデラーを取りたい」

 その言葉を社長の柳井から聞いた時、坂本は反射的に「それは無理です」と応じていた。フェデラーはナイキと生涯契約を締結していると聞いていたし、何より、相手はあのフェデラーである。

 だが柳井から返ってきたのは、「話もしていないのに、なぜ取れないと分かるんだ」という断固たる意志。社長からの至上命令とあっては、坂本も動かぬ訳にはいかない。東奔西走し代理人にコンタクトを取るも、やはり生きるレジェンドの壁は厚く、この時は本人と話すまでには至らなかった。

「ジョコビッチなら可能性が」

 だが、あらゆる情報網を駆使し現場を走り回っていると、思わぬ副産物を得ることもある。

「ノバク・ジョコビッチの契約がこじれているらしい」

 そんな情報を入手した坂本は、柳井に「フェデラーは厳しいですが、ジョコビッチなら可能性があるかもしれません。今はまだ世界3位ですが、いずれ1位になる男です」と報告する。

 そこから、獲得に至る経緯について多くを明かすことはできないが、坂本曰く、「最後はノバク(・ジョコビッチ)に、こいつは俺に命懸けてるなというのが伝わったと思う」という程の熱意で口説き落とした。2012年5月、ユニクロはジョコビッチと契約を締結する。坂本の予言通り、この時の彼は世界1位だった。

 錦織に続き、世界1位のジョコビッチの信頼をも獲得した成果が、テニス界でのユニクロの地位と評価を変えていったのは間違いない。その実績を背負い、坂本は満を持して、再びフェデラー獲得へと乗り出したのだった。

【次ページ】 フェデラー陣営からの質問攻め。

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