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勝負師か、田舎のおっちゃんか。
ノムさんの側近が語る“振れ幅”の魅力。 

text by

長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

PROFILE

photograph byNaoya Sanuki

posted2020/03/13 18:00

勝負師か、田舎のおっちゃんか。ノムさんの側近が語る“振れ幅”の魅力。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

1992年春のキャンプ時に撮影された写真。前年にヤクルトを11年ぶりのAクラス(3位)に導き、野村のID野球への注目が高まった。

勝つためならば、データでもジンクスでも。

 データと対極的な存在である「目に見えないもの」に対する執着心も生半可なものではなかったという。一見すると、「データ」と「ジンクス」は矛盾するものに映るかもしれない。しかし、その根底には「勝ちたい」という思いがあった。

 勝つために徹底的に準備する。そのための根拠となるのがデータだった。そして、人事を尽くした後に野村が頼ったのがジンクスだった。野村の中でデータとジンクスは勝利のために欠かせないものとして、決して矛盾するものではなかったのだ。

何気ないひと言が今も残っている。

 また、三者に共通していたのが、「褒められた記憶がほとんどない」という言葉だった。野村は自ら「私は褒めるのが苦手だ」と語っていたが、弟子たちも一様に「怒られてばかりで、常に厳しい言葉ばかりだった」と語る。だからこそ、師からかけられる何気ないひと言をいつまでも、いつまでも記憶している。

 半世紀にわたるつき合いを経て、松井もまたほぼ褒められたことがなかった。

「野村さんの魅力は振れ幅の大きさなんです。普段は気さくな田舎のおっちゃんなのに、ユニフォームを着た瞬間に近寄りがたい勝負師の顔になります。僕がマネージャー時代だった頃は、僕ら裏方にとても優しい人だった。何かをすると、いつも『ありがとう』と声をかけてくれました。でも、僕がコーチとなり、ユニフォームを着てからは怒られてばかりの関係になりました」

 野村が求める細やかなデータの整理に追われ、大腸がんを患った経験を持つ伊勢は言う。

「私は6年間、野村さんの下でコーチを務めました。その間、何度も怒られたし、『もうやめたるわ』と投げ出したくなったこともあったよね。でも、そんなノムさんがたった一度だけ、優しい言葉をかけてくれた。’95年シーズン、日本一を置き土産に私が近鉄に移籍することになった。日本一になった夜、最後のあいさつをしたとき、ノムさんは私の方を見ずに、『お前には本当に苦労かけたな。今までありがとう』と言ってくれたんやね。もっと早く言ってほしかったわ(笑)」

【次ページ】 一見すると無愛想、でも……。

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