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ウッズ82勝目。歴史に並んだのは、
「僕」ではなく「僕ら」だ。

posted2019/10/29 20:00

 
ウッズ82勝目。歴史に並んだのは、「僕」ではなく「僕ら」だ。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

近く見えた時期、届かないように見えた時期を乗り越えて、タイガーは82勝目を日本で手にした。

text by

舩越園子

舩越園子Sonoko Funakoshi

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photograph by

Takuya Sugiyama

 悪天候による不規則進行でマンデー・フィニッシュになったZOZOチャンピオンシップ。前日の日曜日は2万2000人超が詰め寄せていたが、翌日の入場者数は3000人に満たなかった。

 だが、歴史的瞬間のウィットネスは世界中にいた。帝王ジャック・ニクラスからゴルフを知らない子どもたちまで、国籍も性別も年齢も超えて、みんながゴルフ界の歴史が動いた瞬間を讃え、拍手を送った。

 タイガー・ウッズがZOZOチャンピオンシップを制し、故サム・スニードの通算82勝の記録に並んだ瞬間。それは秋晴れの習志野の大地の上で達成された。

「82はビッグな数字だ。クレイジーな数だ。たくさんの勝利だ」

 日ごろからマイクの前ではクールな表情を保ち、お手本的な言葉を選んで口にするウッズだが、このときばかりは「ビッグ」「クレイジー」などと俗っぽい話し言葉が口をついた。

 心底うれしかったのだろう。興奮していたのだろう。そんなウッズを眺めたファンも、そして私も、心の底から、うれしくなった。

ウッズが生まれた時「82」は存在した。

 スニードが「82」という数字を打ち立てたのは、1965年のこと。それは、考えてみれば、ウッズが生まれる10年も前だ。ウッズがこの世に生を受けたとき、すでにスニードの「82」は、誰からも並ばれることなく、破られることなく、10年という長い月日が経過していたことになる。

 すでに伝説的偉人となっていたスニードにウッズが初めて会ったのは5歳のときだった。カリフォルニアで開催されていた企業イベントでスニードと2ホールをともに回ったウッズは、そのときからスニードに憧れ、目標に掲げた。

 1996年にプロ転向。すぐさまラスベガス招待を制し、初優勝を挙げた。翌'97年にはマスターズを2位に12打差で制し、メジャー初優勝も挙げた。

 順調に、いや猛スピードで勝利を重ねていったウッズ。彼が目指していたのは、5歳のときにともに回ったスニードの通算勝利数「82」に並び、上回ること。そして、ニクラスが打ち立てたメジャー18勝に並び、上回ること。

 それこそが「ウッズの歴史が動く瞬間」を意味していた。

【次ページ】 キャリアの終焉を感じたこともあった。

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タイガー・ウッズ
松山英樹

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