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商業高校が席巻していた「江川世代」。
甲子園出場校から“時代”を紐解く。 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byKatsuro Okazawa/AFLO

posted2019/08/29 20:00

商業高校が席巻していた「江川世代」。甲子園出場校から“時代”を紐解く。<Number Web> photograph by Katsuro Okazawa/AFLO

1973年のセンバツでの江川卓。地方大会の噂だけしか知らなかった全国の野球ファンの前に、初お目見えとなった“怪物くん”。

転勤のある公務員の指導者では強くなれない。

 商業高校の苦戦は、野球部に限ったことではない。少子化に伴い、大学進学への意欲と普通科志望は平成の間にさらに高まった。野球部においてはとりわけ地方での私立高校の強化がめざましく、転勤のある公務員教員が指導する公立校では太刀打ちするのが年々難しくなったのだ。

 普通科志望が強まったことにより、商業高校は変革を迫られた。「昭和の怪物」の時に甲子園に出場した17校のうち、私立商業はすべて校名を変更している。札幌商(北海学園札幌)、藤沢商(藤沢翔陵)、中京商(中京大中京)、京都商(京都学園)、柳川商(柳川)で、札幌商と京都商は現在、商業科そのものがない。生き残りのため、私学は特進コースを新設し、急速な進学校化を推進しているのだ。

 一方、地方の公立校は再編の波にもまれている。糸魚川商工は糸魚川白嶺に、鳴門工は鳴門渦潮に校名が変わっているが、他校との統合などさまざまな理由がある。

半世紀も部活動の強さを維持できるか?

 なお、江川、松坂、佐々木世代が出場した3大会のすべての甲子園に出た高校はないが、最も年代が離れている江川の時と今大会ともに出ているのは佃、達川の広島商、江川の作新学院を含めて7校ある。

 46年前の出場校名を見ていると、現在は甲子園出場には距離がある学校もあるが、実力を維持している学校もたくさんある。ほぼ半世紀をへて、部活動の強さを保てているということは、私学、公立どちらであっても困難なことではないだろうか。

 というのもこの夏を制した履正社や、昨年の春夏連覇校の大阪桐蔭などは「江川の夏」では学校自体が誕生していないか、野球部が甲子園を目指せる強さではなかったからだ。それでも私学なら短期間で強化することは可能だが、公立だとさまざまな制約がある。

 その点では春夏4強の明石商は特筆に値する。

 混同されることがあるようだが、戦前の強豪として知られた明石中は現在の明石高(通称・明高/めいこう)で、「明商(めいしょう)」は市立高校。「野球を通じた町おこしを」という明石市の公募によって、市の職員に採用されたのが派手なガッツポーズで話題になった狭間善徳監督である。指導者としての実績は明徳義塾中などで培ったが、高校野球の監督は初めて。明石市出身だが、明石商のOBではない。

【次ページ】 甲子園とは「時代を映す鏡」。

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